よく、依存法は否認の病、なんて言葉を聞く。僕自身は否認という言葉は好きではないのだが……とりあえず、その詳しい話はここではしない。
依存症の人は、自分が病気であることを認められない。あるいは、一見認めたように見えても心の底では認めていない。これを否認という。解説によっては、否認には段階があって第一の否認が云々、第二の否認が云々なんてことが書いてあるかもしれない。そういう難しい話はさておき、重要なのは心の底から病気なんだと認めることだ、みたいな話だ。
さて、この否認というコンセプトを考えた場合、実は依存症の本人の否認ではなく家族の否認こそ難しい問題なのではないだろうか。というのも、依存症がコントロールできない病であることを認めるということが、本人と家族それぞれにとって、違った意味合いを持ってくるからだ。 “病気だと割り切るということの意味” の続きを読む