自分が正常な状態ではないと認めるということ

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ある人が、依存症に陥った人に対して厳しい態度を取る理由をさらに深く考えてみる。

なぜそんなに責めてしまうのか。

もちろん、直接的な被害を被っている人には、怒る理由がある。迷惑を掛けられて、あるいは思いを裏切られて、相手に怒りを向けるのはごく自然なことだ。

しかし、本当にそれだけなのだろうか?

実はそこには、依存症に陥った人が、今でも正常であるはずだという希望、あるいは、簡単に治る状態であるはずだという願いがあるのではないだろうか。人間の自由意志そのものに対する信頼、と言ってもいい。あなたは自由意志を持った、ちゃんとした人間なのだ、という。

依存症に陥ったとしても、ほとんどの人は、依存対象を離れたところでは、ごく普段の生活をする正常な人のように見える(もっとも依存が重度に進行していくと、特にアルコールや薬物といった物質依存の場合には、体に変調をきたしてくるのでそうも言っていられなくなるが)。それが、依存対象が関係してくると、なぜか脳が正常に動かなくなってしまうのだ。
そのため、この人は本当はちゃんとした人なのだ、悪いところなんかないんだと、誤解をされているのだ。酒さえ飲まなければいい人なのにねえという、アレである。

ところで、このように依存症の人を正常だと誤解しているとどうなるか。正常のはずなのに、酒浸りになる。ギャンブルをする。ということは、この人は、自ら望んでそうしているに違いない。そういう具合に錯誤してしまうのだ。

そうして、問題がこじれはじめる。迷惑を掛けられたことに対して怒るのでなく、相手は意図的に自分に迷惑を掛けているとんでもない奴なのだと、怒りの方向性が変わってくるからだ。頭は正常に働いているはずなのに、人格が破綻しているからこんなことをするに違いないんだと、そういうふうに解釈してしまう。

こいつは悪人なんだ。

さて、最大の問題は、一度この考えが頭に忍び込んだ後、どんどん悪化していってしまう点にある。普通に暮らしているのも、こちらをだますためにそういう振りをしているんだ。病気だと言い出しているのも、責任を逃れるための方便だ。泣きながら話すのは演技に見え、冷静に話すのはなんとも思ってないんだと感じる。そういうふうに、こいつは人格破綻者に違いないという前提で、全ての事象を解釈するようになる。いわゆる、確証バイアスの働きだ。

確証バイアスによる情報の選択・解釈は無意識のうちに行ってしまう非常に強力なもので、一度はまってしまうと、それを覆すのはかなり難しい。人間はそういうふうにできているからだ。

結果、依存症になってしまった側も、迷惑を掛けられている側も、人の脳の仕組みで踊らされてしまっているといえる。

ところで、もしも非難のエスカレートの糸口が、いままで述べてきたようにお前は正常なんだという、そういう思いに基づくものだとしよう。すると、僕なんかは感謝をしようかという気持ちにすらなる。実際には、怒られそうなので口に出しては言わないけど。ありがとうございます。僕のことを正常な、普通に脳が働いている人だと思ってくれている(いた)んですね。

残念ながら、そうではないんです。

さて、ここで少し立ち止まって考えて欲しい。自分が正常な状態ではないと認めるということは、どういうことなのだろう。
自分は依存症という正体不明の病気で、ちゃんと治るかどうかも分からず、自分の意志では抑えられないおかしな行動をしてしまうかもしれない人間だと、覚悟を決めることではないだろうか。

そういう覚悟の上で、自分は依存症であると人に伝えているのだ。別に責任を逃れたいとか、許してほしいとか、そういうことではない。まず依存症という状態であることを、きちんと理解してもらいたいのだ。

それを単なる言い訳と取るかどうかは、あとは純粋に信頼の問題になるのだろう。その人そのものを、信じることができるのかどうか。もしもあなたがその立場にあるのなら、ここまで僕が書いてきたこともできれば参考にしてもらって、急がずに、ゆっくりと判断してほしい。

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