梅干しを見せる。「つばが出ましたか?」と問う。出たら「ではそのつばを今すぐ止めてください。止められないならそれも依存です。」って言いたい。「「依存症」に対する誤解…「もう二度とやらない」ではなく「自分ではやめられない..」 https://t.co/EaHKpYKGVC
— キャズムの住人たちばな せいいち (@S_T) 2016年10月30日
このツイートは依存症のいくつかの面を非常に良く表している。すなわち、依存症は学習の一種であるということ。そして、自分の意志では止めることができないということ。
僕自身も、自分が依存症であると理解した時から、何故自分の意志で止めることができないんだろう、そして、どうやればこの状態を脱することができるんだろうと、いろいろと考えてきた結果、たどり着いた考え方がある。今回はその話をしようと思う。
最初に、根本的な話をすると、依存症の問題点とは、長期的にはデメリットになってしまう行動を、分かっていてもなお止められないという点にある。
意外に思うかもしれないが、大抵の依存症に苦しんでいる人たちは、自分の行動が後々問題を引き起こすだろうことは、普段はかなりきちんと理解しており、やらないほうがいいよなぁとずっと思っているのだ。でもなぜかやってしまう。その時、何が起こっているんだろうか。
それは、行動の優先順位の誤りだ。価値観の逆転、と言ってもいい。目先の快感(自己治療仮説なら癒し)を求めてしまい、後に起こる問題が全く意識から無くなってしまう。これは考えてそうなるわけではなく、脳そのものの仕組みとして自動的に起こってしまうことで、人が抵抗することはまずできない。
その仕組みがどれほど強力なものなのかということを、人に理解してもらうには、あるいは自分がきちんと理解するには、どうすればいいのだろう。
そんなことをずっと考えていたある時、大胆な例えを思いついたのだ。
自分の脳そのものの仕組みに騙されてしまうせいで、きちんと物事を見ることができない。
つまりこれは、錯視と同じだ、と。
次の図を見てもらいたい。有名な錯視なので、ご覧になったことがある人も多いと思う。
AとBの色は同じ
http://persci.mit.edu/gallery/checkershadow
同じ色であるにもかかわらず、明らかにAよりBの方が明るく見える。影を差し引くという処理を脳が自動的に行ってしまうため、Bの方が明るく見えるのだ。ちなみにこの錯視は、MITのEdward H. Adelson教授によって発見されたもので、高度な認知処理でも強力な錯視は起こりうるということを見事に示したもので、当時かなりの驚きをもって迎えられた。
これと同じことが、依存的行動の時に起こっていると考えてもらいたい。本当は同じ色を見ているはずなのに、AよりBの方が明るく見えているのだ。
そして、加えてさらに大胆な例えをしたい。それは、依存的行動を、やってはいけないことだから止めようと思う、ということは、いきなりAとBが同じ色に見えるようになろうということなのだ、と。それは非常に困難なことだ。なぜなら、人の脳は、Bの方が明るく見えるように出来ているからだ。依存症の人の脳が、そういう風になってしまっているのだ。
ではどうすればいいのだろう。考え方を少し変えるのだ。AよりBの方が明るく見える。それはどうしようもない。ただ、それは実は自分の脳に騙されているのだということを理解するのが重要だと、僕は考えている。そのことをきちんと理解すれば、対処もやりやすくなる。
Bの方が明るく見えるよね、でも本当はAとBは同じ明るさなんでしょ?前に見たことがあるから知ってるよ。という状態になるということだ。
これを、例えば酒を飲むという行動を抑制することに当てはめるとどうなるか。酒を飲んでもいいことなんかないからきっぱり止めるんだ、と意気込むのではない。酒を飲もうとしている、あるいは酒を飲みたいなと感じたときに、まずその状態を認識したうえで、自分の脳に騙されようとしているんだと気づく。そして一拍考える余裕を持つということだと思う。
ちなみに人間は不思議なもので、上にあげた錯視も、AとBは同じ色だと理解した上で、何回も何回も見ていると、ふとした拍子に「あ、同じ色に見える」というふうになれる。そういう見方のコツを覚えてしまうのだ。依存症がきちんと治るというのは、そういうことなのかもしれない。
僕自身は、この考え方を持ってから、自分の精神状態がより理解しやすいものになったように感じている。こんな考え方もあるかと、少しでも誰かの参考になってくれれば幸いだ。