理由を求める心理

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自分が状況をきちんと認識していると感じる状態に、無意識のうちに人はなりたがってしまう。cognitive easeと呼ばれる現象だ。なにかよくわからない事柄に出会ったときに、心がもやっとするのを感じるだろう。あれがそうだ。

さて、突然ある事柄が目の前で起きたとしよう。cognitive easeの働きにより、とっさに人はその事柄が起きた理由を求めてしまう。なぜその事柄が起きたか分からなければ、状況をきちんと認識しているとはいえないからだ。問題は、その人がそう感じるかどうかが重要なのであって、その理由が本当に正しいかどうかは関係ないという点にある。

その結果、明らかに理由のないことであっても、無意識のうちに理由を求めてしまう。例えば宝くじがあたったのはあの売り場で買ったからだとか、事故にあったのは日ごろの行いが悪いからだとか。理由が思いつかない場合でも、一応頑張って理由をつける。「運がよかったね」「運が悪かったね」なんて。ようするに「理由は無い」ということのはずなのに。

これを踏まえたうえで、依存症になった人の家族の心理を考えてみる。

まず家族の人は、何か依存症になった理由があるはずだと、無意識に求めてしまう。もちろん、依存症に関して十分な勉強・理解をして初めて分かる、ふんわりとした原因のようなものも無くはないのだが、上記に挙げたcognitive easeの働きにより、自分が納得しやすい理由を求めてしまうのだ。簡単な理由、といってもいい。

おそらく、依存症になった本人が何か悪いことをしたんだろう。その考えが、おそらく最初に浮かぶのではないか。まあ、ここまでは当たり前の話ではある。

ところが、医者や書籍などによって本人の責任じゃないといった知識を得てしまう。すると今度は、他に原因を求めてしまう。例えば、家族自身に。依存症になった当人ではなく、自分に悪いところがあったんじゃないかと考えてしまう。

本当は、そんな分かりやすい理由は無いのに。その理由が無いという宙ぶらりんな状態が耐えられず、無意識のうちに納得できる理由を探し続けてしまう。それはどれほどの苦しみだろうか。

今一般に流通している依存症対策の書籍の多くでは、家族の人は責任を手放すことが重要云々(意訳)ということが書かれている。それは、上記の状態を脱するということではないだろうか。

一見簡単そうに見える手放すという行為。それがなぜ困難なのかは、上記のメカニズムで説明はつくのだけど、どうやって解決するのがいいかは、残念ながらまだ思いつかない。

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