自己治療仮説という検索ワードで、ときどき当サイトにアクセスがあるようなので、記事を書いておこうと思う。
自己治療仮説とは、ざっくりいうと、依存症において、なぜその依存行動を取るのかを説明する際に、その行動が実は(ストレスなどの)苦痛・困難に対抗する治療行為として機能しているのだ、とする仮説である。
“自己治療仮説” の続きを読むmiaouedには全ての母音が含まれる
自己治療仮説という検索ワードで、ときどき当サイトにアクセスがあるようなので、記事を書いておこうと思う。
自己治療仮説とは、ざっくりいうと、依存症において、なぜその依存行動を取るのかを説明する際に、その行動が実は(ストレスなどの)苦痛・困難に対抗する治療行為として機能しているのだ、とする仮説である。
“自己治療仮説” の続きを読むよく、依存法は否認の病、なんて言葉を聞く。僕自身は否認という言葉は好きではないのだが……とりあえず、その詳しい話はここではしない。
依存症の人は、自分が病気であることを認められない。あるいは、一見認めたように見えても心の底では認めていない。これを否認という。解説によっては、否認には段階があって第一の否認が云々、第二の否認が云々なんてことが書いてあるかもしれない。そういう難しい話はさておき、重要なのは心の底から病気なんだと認めることだ、みたいな話だ。
さて、この否認というコンセプトを考えた場合、実は依存症の本人の否認ではなく家族の否認こそ難しい問題なのではないだろうか。というのも、依存症がコントロールできない病であることを認めるということが、本人と家族それぞれにとって、違った意味合いを持ってくるからだ。 “病気だと割り切るということの意味” の続きを読む
梅干しを見せる。「つばが出ましたか?」と問う。出たら「ではそのつばを今すぐ止めてください。止められないならそれも依存です。」って言いたい。「「依存症」に対する誤解…「もう二度とやらない」ではなく「自分ではやめられない..」 https://t.co/EaHKpYKGVC
— キャズムの住人たちばな せいいち (@S_T) 2016年10月30日
このツイートは依存症のいくつかの面を非常に良く表している。すなわち、依存症は学習の一種であるということ。そして、自分の意志では止めることができないということ。
僕自身も、自分が依存症であると理解した時から、何故自分の意志で止めることができないんだろう、そして、どうやればこの状態を脱することができるんだろうと、いろいろと考えてきた結果、たどり着いた考え方がある。今回はその話をしようと思う。 “依存症の強力さのたとえ話” の続きを読む
一つ前のエントリで唐突に始めた依存症カテゴリの語りだけど、これからも色々なことを書いていく予定。そこで、改めてここで方針というか、抱負というか、注意事項というか、そういったものを書こうと思う。 “依存症カテゴリについての方針” の続きを読む
「どうしてそんなんになっちゃったの!」と詰問される。正直に言うと「分からない」ということになる。いや、正確には全く分からないというわけでもない。
依存症に陥るプロセスは、依存対象への曝露のみが注目されがちだが(アルコール依存症なら毎日飲み続けるなど)、実際には他にも多くの要因が関わっている。 “どうして依存症になった?” の続きを読む