今回は、前回提示した行動決定モデルとともに、依存症対策というものが、そもそもどのような意味をもっているのかを考えていく。
というつもりだったのだが、書いている途中で考えが変わってしまったので、予定を変更して、まず僕が今回の一連の記事でひとまず目指していることと、依存症をきちんと治すということには、隔たりがあるということから話を始めることにしよう。 “止められない行動をどうやって止めるか?3(心構え編)” の続きを読む
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今回は、前回提示した行動決定モデルとともに、依存症対策というものが、そもそもどのような意味をもっているのかを考えていく。
というつもりだったのだが、書いている途中で考えが変わってしまったので、予定を変更して、まず僕が今回の一連の記事でひとまず目指していることと、依存症をきちんと治すということには、隔たりがあるということから話を始めることにしよう。 “止められない行動をどうやって止めるか?3(心構え編)” の続きを読む
ごく一般的な、行動のモデルとはどのようなものだろうか。まず行動のきっかけ(トリガーと呼ばれる)があり、内的状況認知を経て、意思決定があり、最後に行動にうつされる。
内的状況認知をさらに分解すると、まず生理反応がおこり、それが状況認知と結びつき、感情が解釈されるという形になる(あれ?と思った方は前回の記事を確認)。状況認知も内的なもの(精神的なもの、記憶など)と外的なもの(物理的なものや他人など)とに分かれるが、いずれにしても感情解釈のみではなく、意思決定にも影響を持つことになる。 “止められない行動をどうやって止めるか?2(分析編)” の続きを読む
前回の記事のあらすじ:
依存症に陥っている人の行動は、どうやら無意識のうちに行っている部分が多いようだ。特に依存症真っ最中のときはほぼすべての行動が自動的に行われてしまうため、我慢することができないのではないだろうか?まずは自分が行動を起こそうとしていることを監視し続ける必要がある。
さて、自己監視を続けて、依存行動をおこそうとしている自分を発見できたとする。あとは我慢するだけ……なのだが、それがうまくいかない。ここで苦しんでいる人は、非常に多い。実際僕も、何度となく失敗し、挫折することを繰り返してきた。
ここから始める一連の記事は、ある意味では依存症で苦しんでいる人が一番知りたい内容、つまり、なぜ自分の行動が制御できないのか、そしてどうすれば制御できるのかということに深く踏み込むものだ。 “止められない行動をどうやって止めるか?1(準備編)” の続きを読む
依存症って言ったって、ただお酒飲んだりギャンブルしたり薬打ったりしないで、普通に過ごせばいいだけじゃない?なにがそんなに難しいの?
これもよくある誤解だ。
まずは何かをしないということの難しさ、それがどこにあるのだろうかという話だ。
まず、大前提として、なにかをしないようにするというのは、僕ら自身が思っているよりも難しいことだ。データで語るまでもない。簡単なことなのなら、ダイエットの成功率は100%だろうし、みんながみんなを憎まないようになれば、世界は平和でいられる。何が原因で難しいのだろう。あるいは、どういうときに難しくなってしまうのだろう。 “何かをしないということの困難さ” の続きを読む
よく、依存法は否認の病、なんて言葉を聞く。僕自身は否認という言葉は好きではないのだが……とりあえず、その詳しい話はここではしない。
依存症の人は、自分が病気であることを認められない。あるいは、一見認めたように見えても心の底では認めていない。これを否認という。解説によっては、否認には段階があって第一の否認が云々、第二の否認が云々なんてことが書いてあるかもしれない。そういう難しい話はさておき、重要なのは心の底から病気なんだと認めることだ、みたいな話だ。
さて、この否認というコンセプトを考えた場合、実は依存症の本人の否認ではなく家族の否認こそ難しい問題なのではないだろうか。というのも、依存症がコントロールできない病であることを認めるということが、本人と家族それぞれにとって、違った意味合いを持ってくるからだ。 “病気だと割り切るということの意味” の続きを読む
自分が状況をきちんと認識していると感じる状態に、無意識のうちに人はなりたがってしまう。cognitive easeと呼ばれる現象だ。なにかよくわからない事柄に出会ったときに、心がもやっとするのを感じるだろう。あれがそうだ。
さて、突然ある事柄が目の前で起きたとしよう。cognitive easeの働きにより、とっさに人はその事柄が起きた理由を求めてしまう。なぜその事柄が起きたか分からなければ、状況をきちんと認識しているとはいえないからだ。問題は、その人がそう感じるかどうかが重要なのであって、その理由が本当に正しいかどうかは関係ないという点にある。 “理由を求める心理” の続きを読む
ある人が、依存症に陥った人に対して厳しい態度を取る理由をさらに深く考えてみる。
なぜそんなに責めてしまうのか。
もちろん、直接的な被害を被っている人には、怒る理由がある。迷惑を掛けられて、あるいは思いを裏切られて、相手に怒りを向けるのはごく自然なことだ。
しかし、本当にそれだけなのだろうか? “自分が正常な状態ではないと認めるということ” の続きを読む
唐突に話を始めるが、人の考え方を変えるのは非常に困難だ。そしてそれは、実はその時話している理屈が正しいかどうかにはあまり関係ない。どちらかというと、理屈を聞いている側の受け入れ方の問題だったりする。
実例を挙げよう。ビッグバン宇宙論vs定常宇宙論の論争が起きた時、従来の定常宇宙論を唱えていた人たちの多くは、実は最後まで自分たちの考え方を変えなかった。しかも、そのころ、少なくとも、定常宇宙論が誤りであることを示す証拠は山ほどあったにも関わらずだ。そういった人たちが一線を退いていなくなった後に、ようやくビッグバン宇宙論が主流となったのだ。 “人の考え方を変えるのは困難という話” の続きを読む
梅干しを見せる。「つばが出ましたか?」と問う。出たら「ではそのつばを今すぐ止めてください。止められないならそれも依存です。」って言いたい。「「依存症」に対する誤解…「もう二度とやらない」ではなく「自分ではやめられない..」 https://t.co/EaHKpYKGVC
— キャズムの住人たちばな せいいち (@S_T) 2016年10月30日
このツイートは依存症のいくつかの面を非常に良く表している。すなわち、依存症は学習の一種であるということ。そして、自分の意志では止めることができないということ。
僕自身も、自分が依存症であると理解した時から、何故自分の意志で止めることができないんだろう、そして、どうやればこの状態を脱することができるんだろうと、いろいろと考えてきた結果、たどり着いた考え方がある。今回はその話をしようと思う。 “依存症の強力さのたとえ話” の続きを読む
一つ前のエントリで唐突に始めた依存症カテゴリの語りだけど、これからも色々なことを書いていく予定。そこで、改めてここで方針というか、抱負というか、注意事項というか、そういったものを書こうと思う。 “依存症カテゴリについての方針” の続きを読む