止められない行動をどうやって止めるか?1(準備編)

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前回の記事のあらすじ:
依存症に陥っている人の行動は、どうやら無意識のうちに行っている部分が多いようだ。特に依存症真っ最中のときはほぼすべての行動が自動的に行われてしまうため、我慢することができないのではないだろうか?まずは自分が行動を起こそうとしていることを監視し続ける必要がある。

さて、自己監視を続けて、依存行動をおこそうとしている自分を発見できたとする。あとは我慢するだけ……なのだが、それがうまくいかない。ここで苦しんでいる人は、非常に多い。実際僕も、何度となく失敗し、挫折することを繰り返してきた。

ここから始める一連の記事は、ある意味では依存症で苦しんでいる人が一番知りたい内容、つまり、なぜ自分の行動が制御できないのか、そしてどうすれば制御できるのかということに深く踏み込むものだ。

そして、申し訳ないのだが最初に断っておくと、これから僕が書くことは、自分が依存症となった後の内省をもとにした、自己流の分析に過ぎない。何年も掛けて練りに練ったものというわけでも、多数のデータを集めて分析したものでもない。そこはご理解いただきたい。

ただ、分析そのものに関しては、神経生理学、認知心理学、社会心理学といったものの理論をベースとしているので、そこまでハズレでもないと考えてはいる。そして、おそらくこの観点から依存症の対策を考える記事というのは、少ないはずだ。なので、いずれにしても興味深く読んではもらえると思う。

まずは、以下の事柄について知っておいてもらいたい。

そもそもの話だが、人は普段どうやって行動しているのだろうか。実は人の行動のほとんどは無意識のうちに行われる。人が自らの意思を行使して、つまり意識的にする行動は、驚くほど少ない。さらに言うならば、脳が行っている膨大な計算量のことを考えるならば、そのうち意識の扱われている部分などごく一部に過ぎないことが分かる。
何が言いたいのか?無意識の部分が行動に与える影響は、僕たちが想像しているよりも、はるかに大きなものだ、ということだ。そして、前回の話の繰り返しでもあるが、無意識のうちに下される決定に関しては、意識的に関与することは難しい

つぎに、人の感情に関する話だ。吊り橋効果、という言葉を聞いたことがあるだろうか。簡単に言うと、吊り橋の上で異性と話をすると、よりその異性が魅力的に感じられるというものだ。
理屈はこうだ。吊り橋の上では、人は緊張してしまい、心拍数の増加などの生理反応が出る。その時目の前に異性がいると、吊り橋の緊張から生じているはずの生理反応を、目の前の異性が魅力的なために生じているのだと、無意識のうちに取り違えてしまう。その結果、異性が魅力的だったと思い込んでしまう。
すなわち、まず生理反応があり、それを状況に応じて解釈したものが感情となる

余談。
僕らが一般的に感じている常識では、まず状況があって感情が生じ、そして感情に応じた生理反応が起こるという風に考えるのに対して、上の理論は、まず状況と生理反応があり、それを解釈したものが感情になる、と考える。これを情動二要因理論と呼び、人間の情動(感情)を考えていく上で、非常に有名な理論の一つだ。

閑話休題。さらに、ひどく奇妙に聞こえる話をしよう。人が無意識のうちに行動を取ってしまった後、意識がその結果を見る。そして、どうやら意識がその行動に対する解釈を作り出すということがあるようなのだ。
あくまでもたとえであるが、なにかをしている最中に誰かから声を掛けられ、その人と話をする。話が終わって、さて今自分は何をしてたんだっけと思いだそうとする。机の上をみると本が伏せておいてある。あぁそうだ、本を読んでいたんだった、と解釈する。これに近い現象が、もっと広範に起こっているというのだ。
ここから導き出される事柄はなにか。自分の意識が常に正しいとは限らない。無意識の行動の結果から生じる、後付けの歪んだ解釈に過ぎないかもしれないということだ。

さて、これらの前提を元に、いよいよ次から具体的な話に入ろうと思う。

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