何かをしないということの困難さ

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依存症って言ったって、ただお酒飲んだりギャンブルしたり薬打ったりしないで、普通に過ごせばいいだけじゃない?なにがそんなに難しいの?

これもよくある誤解だ。
まずは何かをしないということの難しさ、それがどこにあるのだろうかという話だ。

まず、大前提として、なにかをしないようにするというのは、僕ら自身が思っているよりも難しいことだ。データで語るまでもない。簡単なことなのなら、ダイエットの成功率は100%だろうし、みんながみんなを憎まないようになれば、世界は平和でいられる。何が原因で難しいのだろう。あるいは、どういうときに難しくなってしまうのだろう。

なにかをしたくてたまらなくなる、どうしても我慢できないという症状が現れるものに、依存症……ではなく、強迫性障害と呼ばれるものがある。潔癖症(これは正確な病名ではないが)という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。自分が触るものは一度拭いてからでないと使えない、なにかが汚れているのが我慢できないという状態。あれが、強迫性障害の典型的なものだ。

余談だが、強迫性障害そのものを扱うわけではないが、障害を持った主人公が登場するドラマがある。名探偵モンクというドラマだ。主人公は傾いている額縁を直し、ぬいぐるみを等間隔に並べ、柱の数をいちいち数えながら歩いてしまう。強迫性障害の症状のオンパレードだ。ちなみに、障害の描写は抜きにして、一話完結型の探偵ものとして純粋になかなか面白いので、興味のある方はどうぞ。

閑話休題。強迫性障害の人を突き動かすのは、なにかをしなければならないという恐怖だ。興味深いことに、やっている本人も、自分のしていることが、他人から見て全く意味のないことだということは理解していることが多いそうだ。

意味が無いことはわかっていても、やらないということに耐えられない。我慢したいが我慢できないという、意識上のせめぎあいが常にある状態というのは、ひどく苦痛なことだろうと思う。

さて、一方依存症の方はどうだろうか?個人的な経験や、他の人達の話を聞いた限りでは、強迫性障害とは全く違う感覚だ。なにかをとにかくしたくなるとか、しない状態が耐えられなくなるとか、そういうことは全くといっていいほどない。

気づいたら、やってしまったいるのだ。お前ふざけてるのかとお叱りを受けるかもしれないが、DIOの「世界」の能力で階段を下ろされている気分、といってもいい。

もうひとつ例を出すならば、故中島らも氏も、その著書「今夜、すべてのバーで」の中で、アルコール依存とは酒が飲みたくて飲みたくてたまらないという状態ではない、という趣旨のことを書いていた(記憶がある)。

実際、依存症の人に「なぜそのことをしてしまったのか」尋ねても、「分からない」と答える人や、考え込んでしまう人が多い。中にはきちんとした理由を答える人もいるのだが、敢えて言わせてもらうと、それは「分からない」と答えると「ふざけないで!」と叱られる(あるいは叱られた経験がある)から、後付の理由をつくり出しているのだ。

ところで、河本泰信先生のギャンブル依存の治療手法「願望充足メソッド」では、ギャンブルをするのは奥底に隠されている欲求があるからだとしている。その欲求を見つけて、別の形で叶えることが治療につながるという説だ。僕自身はこの説が正しいものなのかどうなのかは正直分からない。ただ、依存症に陥った後の依存的行動に関して、少なくとも、はっきり意識上に浮かぶような、簡単に分かる理由は無いと考える。それゆえ、隠されている欲求ということなのだろう。

ところで、依存症の人に理由を聞いた時に、はっきりとは分からない、すぐには答えられないというのは興味深い。強迫性障害の時は、「汚いと思った」「なんだか落ち着かない」など、どういうものかはともかくとして、理由を答えることはできるからだ。

それはつまり、依存症の人が起こす行動は、どうやら「意識的に」行っているというよりは、「無意識のうちに」行っている部分が多いということを示唆するからだ。そのため、意識上には理由が存在しないわけだ。

さて、話を最初に戻してみよう。なにかをしないようにするとは、どういうことだろう。そのためには、我慢するという心の動きを、もう少しだけ厳密に考える必要がある。

我慢することとは、なにかを自分が行おうとしていることをまず意識上で確認し、その上で意志力を行使してその行動を止めることだ。何が言いたいのかというと、自分が知らないうちにしてしまっていることは、そもそも我慢すらできないということだ。

例えば、ため息をつかないようにするということを考えてみよう。
やってみると分かるが、意外と難しい。何故なら、ため息というのは普段は自然と出てしまうものだからだ。だから、ため息をつかないようにするためには、まず自分がため息をつこうとしている状態を知覚し、意識に上げてやる必要がある。そのためには、自分の呼吸のあり方を常に意識し続ける必要が出てきてしまう。

つまり、無意識の行動を抑制するためには、まずは自分で自分を監視し続け、その行動を知覚する必要がある。そうして初めて、意識的な我慢という行動ができるのだ。

依存症の人が行動を止められない理由、そして止めるためのヒントは、こういうところにあるのかもしれない。

そしてもちろん、自分の行動をきちんと知覚してるんだけど、その上できちんと我慢できないんだという人もいるだろう。それについては、別の記事で考察してみたい。

「何かをしないということの困難さ」への2件のフィードバック

  1. 仕事中プライベートを問わず、考えていることの一部や喜怒哀楽の一部が、独り言として勝手に口をついて出てしまう現象の解消方法が知りたいですね。必要以上に常に頭の中で全てを言語化しようとしている弊害かもしれないですが。

    1. 返信の下書きでかなり長くなったので、独立した記事として書こうと思う。結構面白い問題かもしれない。

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