今回は、前回提示した行動決定モデルとともに、依存症対策というものが、そもそもどのような意味をもっているのかを考えていく。
というつもりだったのだが、書いている途中で考えが変わってしまったので、予定を変更して、まず僕が今回の一連の記事でひとまず目指していることと、依存症をきちんと治すということには、隔たりがあるということから話を始めることにしよう。
僕が今回の一連の記事でまず目指していることは、依存的行動を止めるということだ。一方、依存症をきちんと治すということとは、依存的行動をしなくても生きていけるようになる、ということだろう。この二つは似ているようで違う。
さて、世の中で言われている依存症の対策の多くは、実は後者を主眼に置いたものだ。つまり、依存症をいかにきちんと治すのかということだ。
しかしながら、依存症の人が一番悩んでいることは何だろうか?それは結局、依存的行動を取ってしまうという、目の前にある問題だろう。ここに齟齬がある。
生き方を変えろだとか、新しく趣味を見つけろだとか、一般的な対策で書かれていることは、長期的な視点に立った治療の役には立っているのかもしれないが、目の前に迫る衝動を抑えることに対しては、あまり役に立たない。強いて言えば、時間を使ったりストレスが軽減されたりする面から、トリガーを減らすという効果はみこめるだろう。
もう一つの問題は、依存症に陥ってるときは依存的行動以外に快感を感じにくい状態になってしまっているため、他のことをしても楽しくないという点だ。新しいことを始めてみても、結局楽しくないのでやめてしまうことが多い。
ところで、いきなり話をひっくり返すのだが、生き方を変えるというのは漠然としすぎているので考えないとして、新しく趣味を見つけるいうやり方は、本当に依存症を治すのだろうか?僕自身は、実は怪しいと感じている。なぜか。
それは、モデルで提示したトリガー~最終的な行動という、学習された一連の流れは、結局残ったままになっているからだ。つまり、なにかの拍子にトリガーを踏んだ時に、再び依存行動を取ってしまう可能性は常に残るのではないだろうか?
トリガーの多くは、実はストレスだ。新しい趣味を見つけ、生活も立てなおってくれば、確かにトリガーも減ってくるだろう(結果として依存的行動もなくなってくる)。しかし、おそらく0にはならない。なぜなら、強いストレスという、いつでも起こりうる現象がトリガーになっていることが多いからだ。
そしてこの考えを裏付けるかのように、依存症の再発率は高い。数年たってからいきなり再発などということも珍しくない。
だとすれば、長期的な視点で提示される他の治療法も、実はトリガーを減らしているだけにすぎず、真の治療にはなっていないのではない可能性がある。
それならば、衝動と戦いつつも依存行動を止め続けることこそが、本当に治ったというふうにも取れるのではないだろうか?