先日ニュースを読んでいるときに、船舶事故の話が出ていて、原因は「ジョイスティックの誤操作」だったと書いてあるのを見かけた。
恥ずかしながら、その時初めて、ジョイスティックがゲーム用語ではないことを知ったのだ。
言い訳というわけではないが、joystickという単語を見ても、joy + stick(楽しい棒)なわけで、どうせAtariあたりが(洒落)名付けたんだろう、くらいに考えていたわけである。
はたして、きちんと調べてみると、棒状の操作機器ほぼ全てをjoystickと呼ぶことが可能なくらい、広い範囲で使われる言葉のようであった。
となると、次に生じる疑問は、一体なんだってjoystickなんていう名前がついているのか、ということだ。機械類の操作に用いる棒をjoy+stickと名付けるのは、どこか不謹慎さを感じさせる。Atariあたりが(しつこい)名付けたのならともかくとして。
“joystick 語源”などと検索してみると、(2020年10月現在)pixiv百科事典の「ジョイスティック」の項が真っ先に引っかかる。曰く、
「Joy stick」は直訳すると「お楽しみ棒」、つまり男性のアレの暗喩である。
もとは米軍の戦闘機パイロットたちが、操縦桿をアレに見立ててジョイスティックと呼んでいたのが、ゲームのコントローラーにも使われるようになったのである。
ゲームを楽しむためのスティックなので、ある意味直訳通りになったといえる。
なる……ほど……?……ホントに……?
いくつかの英和辞典を引いてみても、たしかにjoystickの別の意味(俗語)として、男性器というのが挙げられている。少なくとも、そういう意味合いを持つ単語であることは確からしい。
ちなみに、Merriam Websterのオンライン英英辞典でjoystickと引いてみても、
History and Etymology for joystick
perhaps from English slang joystick penis
などと紹介されているところを見るに、英語圏でも人口に膾炙する説のようだ。
足の間に操縦桿があるとどういう絵面になるのか、例としてはジブリの「紅の豚」の空戦シーンを思い浮かべると、分かりやすいかもしれない。個人的には、ガイナックスの「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を真っ先に思い出すのだが……まあ、それはさておき。
しかし、少し気になるところもある。というのも、初出の解説に
First Known Use of joystick
1910, in the meaning defined at sense 1
と書かれているのだ。sense 1には、飛行機の操縦桿のことが書いてある。つまり、現在のところ知られている、文章として残っている最古のjoystickの用例は、飛行機の操縦桿を意味するものらしい。……ということは、まず操縦桿としてのjoystickがあり、そこから男性器のスラングが生まれたという具合に、順番が逆である可能性がある。
……などといったことを調べていくうちに、英国の語源研究科/作家のマイケル・キニオン(Michael Quinion)氏の運営するサイト、World Wide Wordsの、joystickの項に行き当たった。非常によくまとまった、分かりやすい記事だ。それによると、男性器の隠喩として用いられたjoystickの記述は、1916年のものが最も古いらしい。スラングは専門用語にくらべると文章に残りづらいことを考慮すると、やや微妙な時期ではある。
肝心のjoystickの最初の用例とはどのようなものか?
In order that he shall not blunder inadvertently into the air, the central lever — otherwise the ‘cloche’, or joy-stick is tied well forward.
英国の飛行士、Robert Loraineの1910年の日記にある記述らしい。この日記が書かれた頃には、すでにjoy-stickという用語が定着しつつあったというのが見て取れる。
ライト兄弟のライトフライヤー号による動力飛行が1903年であることを踏まえると、飛行機の歴史上でも最初期の頃の話と言ってもいい。つまりは、そもそも後にjoystickと呼ばれることになる操縦装置、操縦桿の仕組みそのものも、生まれたばかりの頃である。
ライトフライヤー号では、翼全体をねじる(うつ伏せに寝転んだ状態で、腰と足を左右に振ることで操作する)ことにより左右への傾きを制御していた。それを現在と同じ形式、つまり翼の後端に可動するエルロンを取り付け、それを動かす形式で行うようにしたのが、フランスのロベール・エスノー=ペルトリ(Robert Esnault-Pelterie)だ。この人は、棒による飛行機の制御に関する特許も持っていたらしい。つまり、操縦桿、joystickの発明者というわけだ(少なくとも、そう考える人は多い)。
この操縦方法は、標準的な飛行機の操縦方法として、瞬く間に業界に広まっていく。その当時、最も有名だったフランス製の飛行機の一つ、ドーバー海峡の初の横断飛行に成功したBlériot XIの操縦席を見てみよう。
現在の操縦桿とは、やや違ったイメージの形だ。上にはハンドルがあり、下には大きなベルのようなカバーがついている。フランス語でベルのことをclocheという。そう、Robert Loraineの日記に出てくる’cloche’のことだ。
ところが、Robert Loraineも乗っていた、Farman IIIやBristol Boxkiteといった英国製の飛行機は、clocheとは呼べない、違う形の操縦桿を使っていた。
これらの動画を見れば分かるように、完全に棒、stickだ。
これは想像にとどまるが、英国において、フランスで用いられていたclocheという用語ではなく、棒になぞらえたjoy-stickという用語が使われるようになったのは、この形が影響していたのではないだろうか。
それはともかくとしても、どちらも、やや前方から操縦者に向かって斜めに突き出すような形になっており、Farman IIIでは足の間ではなく、右側に置かれている。
これらから男性器を想像するのは、なかなかに難易度が高そうではある。
前述したWorld Wide Wordsの記事中では、キニオン氏は、joystickという言葉の意味の順序に関して、これらの事情を踏まえつつ、操縦桿が先で、肉棒は後、という可能性がやや高いのではないだろうかとしている。
じゃあ、’joy’はどこから来たのか?
キニオン氏はこの問題に対して、単純な、しかし粋な考え方を用意していた。
飛行機の黎明期において、この棒(stick)は、空を飛ぶという冒険的で素晴らしいこと(joy)を経験するためのものだったから……かもしれない、と。
真実はわからないけど、僕もこの考え方に賛成だ。
joystickという言葉には、実は最初期の飛行士たちの夢が詰まっている……などと考えるのも、楽しいことではないだろうか。特に、先に紹介した動画をみた後では、そう感じられる。
今回は、以上。
#最後におまけでまとめ。
ジョイスティックという言葉自体は、英国由来のもので、第一次世界大戦より前、飛行機の黎明期から使われている。米軍の戦闘機乗りは関係ない(これはpixiv百科事典中の明確な誤り)。
また、確かに卑猥な意味(男性器)を持つスラングとして使われるが、おそらくは操縦桿の意味が先で、スラングが後。
何故joyなのかは不明だが、言葉が生まれたのも空を自在に飛ぶ事自体がまだ珍しかった頃の話で、単純に楽しかったからかもしれない。