自己治療仮説という検索ワードで、ときどき当サイトにアクセスがあるようなので、記事を書いておこうと思う。
自己治療仮説とは、ざっくりいうと、依存症において、なぜその依存行動を取るのかを説明する際に、その行動が実は(ストレスなどの)苦痛・困難に対抗する治療行為として機能しているのだ、とする仮説である。
なんのこっちゃいな、なんも治ってへんがな……と思う人もいると思うので、少し具体的な例を挙げてみようと思う。
日常生活で絶え間ないストレスに晒されているAさん。仕事場では上司との折り合いが悪く、些細なことで叱責を受ける。家に帰れば伴侶に愚痴ばかり聴かされ……気が滅入ってくるので、この辺りで止めておこう。
さて、特に趣味もないAさんのほぼ唯一の楽しみは、TVを見ながらの晩酌である。最初の頃は週に2回ビールを1杯程度だったのだが、次第に酒量が増えていった。現在はほぼ毎日、ストロングゼロを2本~3本。休みの日には晩酌だけでなく、昼から飲んでいることも少なくない……。
典型的なアルコール依存症、もしくはその前段階の状態である。
この時、物事を少し逆から見てみる。
すなわち、この人が酒を飲まなかったとしたらどうなっていただろうか?
もしかしたら、なんの楽しみのないストレスフルな人生に押しつぶされ、心を病んでしまっていたのではないだろうか?
だとすると、飲酒という行為は、実はこの人自身の心を(例えば、うつ状態などから)救うためになされているのではないか、という説明が成り立つ。
これを自己治療仮説と呼ぶわけだ。
酒を飲む言い訳をうまい具合に言い換えただけじゃない?という意見もあるだろう。では、次のようなケースはどうだろうか。
睡眠導入剤や、抗不安剤として処方されることが多い、デパスという薬がある。
職場での人間関係や勤務状況から心身に支障をきたし、うつ病になってしまったBさんは、会社を辞めて心療内科に通うことにした。なかなか治療は功を奏さず、病院を転々とするBさんであったが、ある医院で処方されたデパスが効果抜群であった。
この薬のおかげで、ちょっとしたアルバイト程度ならできる程度まで復帰した。 現在処方されているのは一日3錠の上限であるが、しばらくするうちに、デパスの効果が切れると気分が沈み、まともに仕事ができない状態になってしまうことに気づいた。
いつの間にかデパスに対する依存症となってしまっていたのだ。
ご存知の方もいるかも知れないが、このデパスに対する依存症というのは、作り話でもなんでも無い。以前は一般薬として処方されていたデパスであるが、その依存性の高さが問題となり、2016年に向精神薬としての指定を受けている。
現在進行系の、合法的な、処方薬の常用による依存症問題である。
この「処方薬」を、アルコールやドラッグ、ギャンブルといったものと置き換えた考え方を、自己治療仮説と呼ぶことも可能かもしれない。
人はストレスや苦痛に対抗するために、無意識のうちに、役に立つ脳内物質を増加させる行動を「自己治療」として行っており、それが結果的に依存という形になってしまうのではないか、ということだ。
では、改めて依存症を話の中心として、この後どのような行動をとるべきかを考える場合、今度は「自己治療法としての依存」をいきなり止めさせていいのか、という問題が生じてくる。
Bさんの例でいうと、デパスを断薬することによって、うつ病が悪化してしまわないのかということになるし、Aさんの例でいうと、アルコールを断って日常のストレス発散ができるのか、ということを考慮する必要がある。
したがって、いきなり薬やアルコールを止めるのではなく、例えば緩やかな減薬・減酒から始めるというケースも出てくるだろう。本人にとって一番害がないであろう道筋を通りつつ、可能ならば、その間にもっと根本的な原因の解決方法を探ったり、より良い「自己治療」に振り替えられないかを検討することになる。
この考え方はハームリダクションと親和性が高い。もちろん、個々のケースごとに何が(依存症患者本人だけでなく、まわりも含めた)当事者たちにとって一番いいのかということを考慮する必要はあるだろうけど。
一滴でも酒を飲んだら終わり!みたいな強力なやり方も一つかもしれないが、それだけでは解決しない場合もあるのではないか、という話でもある。
以下参考。
自己治療仮説が提唱された文献については、
https://www.researchgate.net/publication/13845038_The_Self-Medication_Hypothesis_of_Substance_Use_Disorders_A_Reconsideration_and_Recent_Applications
にて閲覧可能なようだ。厳密な分析というよりは、臨床観察に基づいて、依存症に対する新たな見方を提示した、といった感じではある。
この仮説で提唱されたプロセスが、脳神経学的に正しいかどうかは(少なくとも現段階では)判断できない。ただし、例えば幼少期に虐待を受けていた人や、PTSDの症状がある人ほど依存症に陥りやすいといったデータや、抗うつ薬によって依存症からの回復が促進されたとする研究などは存在する。
https://harmreductiontherapy.org/wp-content/uploads/2014/11/Origins-of-Addiction-ACE-Study.pdf
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3811127/
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1091161
あたりを参照のこと。