“The Squire’s Recipes”(あるいはスクァイアーレシピーズ)

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前回に引き続き、カクテルにまつわる話。

1906年~1910年のいずれかの年に(はっきりした記録は見つからなかった)、アメリカの詩人・編集者であるKendall Banningの友人たちのもとに、クリスマスプレゼントが贈られてきた。
中には小冊子が入っており、その表題は”The Squire’s Recipes”―敢えて日本語に訳すなら、「郷士のレシピ」といったあたりだろうか。製作年は1784年と記されている。
冊子には、送り主であるKendall Banningによるメモが同封されていた。

曰く。
この小冊子は、コネチカット州オールド・ライムにある祖母の家の屋根裏にあった、虫食いの跡がある古い毛皮張りのトランクの中から発見したものです。カバーは完全に朽ち落ちていたものの、中身は無事で、一読の価値があると思われるので、ぜひご覧になってください。

なるほど、確かに趣のある、相当古い見た目の冊子であった。使われていた活版の書体も、当時はもう使われなくなっていた、特徴的な独立戦争期のもので、製作年とも合致している。

内容としてはKendall Banningの曽々祖父である、スクワイアのCalvin Banningが、在りし日に客たちに振る舞っていた飲み物の解説とそのレシピ、というものだった。
……つまるところ、現代風に言うと、カクテルのレシピ本だったのである。
極めて興味深い、歴史的に意義のある記述が多く、中には、カクテルがその名”Cocktail”と呼ばれるようになったエピソードなども含まれていた。

この小冊子が友人たちに届けられるや、たちまち世間の話題となった。新聞の記事として取り上げられ、図書館からは収蔵の依頼がくる有様であった。

……などと、当初の思惑を大きく逸脱した騒ぎになったところで、Kendall Banningは、この”The Squire’s Recipes”が、自らと友人のNoble Foster Hoggsonによる、手の混んだでっち上げであることを告白することになった。
というより、どうやらそもそもが、古い本を盲目的に崇めてしまうことに対する、風刺目的のいたずらのつもりであったようだ。悪趣味ではあるが。

本人の告白を別にしても、この冊子がでっち上げであるという証拠については、面白い話が2つある。

ひとつは、Banningがこの本を有名なワイン商人Charles Bellowsに持っていったときのエピソード。Bellowsは興味深げにページをめくった後、偽物だと看破したらしい。
原因は、中に紹介されていたカクテル、The Dartmouth Drachmのレシピ。レシピにはヴェルモットが使われているが、ヴェルモットは1784年にはまだアメリカにはもたらされていなかったとのこと。なるほど。

もうひとつは、もう一種類の、Squire BanningではなくSquire Hoggsonとなっているバージョンの”The Squire’s Recipe”が存在しているということ。150部を友人たちに届けるために印刷した際、半分をBanningの名前で、残りを共犯者であるHoggsonの名前で作成したらしい。

ちなみに、このでっち上げの告白と、それに伴う騒動が一段落した(?)1912年、Brothers of the Bookにより、騒動の顛末も収録した上で、この”The Squire’s Recipes”は再版された。オリジナルの雰囲気を可能な限り再現した……とのことである。1912年版は、ネット上で閲覧することが出来る。

さて、この”The Squire’s Recipes”であるが、あまりに見事なでっち上げであったためか、しばしばその内容を事実として取り上げている記事があったようだ。実際、例えば”1,000 Remarkable Facts About Booze”, Richard Erdoes(1981)の中では

The Squire’s Recipes, published in 1748, has an item titled “A Cocktail”…

“1,000 Remarkable Facts About Booze”, Richard Erdoes (1981)

などといった紹介がされている。
なぜか出版年が、1784年ではなく1748年となっているのが興味深い。
というのも、どうやら同じ内容が日本にも流れてきていたようなのだ。

Wikipediaのカクテルの項目(もし修正されている場合は2019年4月のWayback Machineによる記録を参照)の脚注6に、こうある。

1748年にイギリスで発行された『ザ・スクイア・レシピズ(The Squire Recipes)』という小冊子に、「酒+その他の酒 and/or その他の副材料=カクテル」と記されている(『読むカクテル百科』p28)。

Wikipedia「カクテル」2019年9月現在の記事内容

Wikipediaの参照元は、福西英三の「読むカクテル百科」となっている。しかし、実はもっと昔、1949年には、やはり同じ形で日本に(誤った)情報がもたらされていた形跡がある。

申し訳ないことに、僕自身の目で確かめてはいないのだが(後日確認してみたいと思う)、どうやら三島由紀夫の小説の中に書かれているそうなのだ。
東京は板橋区大山に店を構える老舗のショットバー”P-Poppo“のブログに、その記述を見つけた。

「十八世紀中葉の一書誌の著者が云う。
その処方は著者がヨンカーズ町のコックステール・タバーンなる居酒屋の美しい女将ペギー・バン・エイクよりの直伝の秘法であって、彼女はさる年の某月この調合法をば、許婚なる船長アプルトンのために調整し、その酒の勢で、彼女の父親の不機嫌に圧倒されないように元気を附けたのだった。
すると彼女の大好きな闘鶏があたかも重大事件を寿ぐかの如く、声高く鶏鳴をつくり、思い切り羽博いたので、彼の素晴らしい尾羽が一本ヒラヒラと舞い降りてこの美しい娘(今はコックステール・タバーンが女将)の前へ落ちた。
その羽を拾って、彼女はグラスの中を攪きまわした。かくしてこの飲み物がカクテルと命名され、爾来その名で呼ばれるようになったのである。」
三島由紀夫「魔群の通過(1958)」より

P-Poppoブログ2012/2/21「三島由紀夫のカクテル説

18世紀中葉の一書誌……すなわち、1748年の”The Squire’s Recipes”である。もちろん、これと同じ内容が、オリジナルにも書かれている。念の為に書いておくと、”The Squire’s Recipes”以外にこのエピソードを扱っている本は存在しない。なぜなら、このエピソードそのものも、でっち上げだからである。

「魔群の通過」の初版は昭和24年というから、1949年。なので、おそらくこの記述は三島由紀夫選集の第5巻(1958年出版)からの引用だと思われる。
なんとか初版で確認してみたいところではあるが、この「魔群の通過」、実は三島由紀夫の中では稀覯本として知られているらしく、帯なし初版で6~10万。帯付きだと10倍以上になるかもとのこと。くわばらくわばら。

となると、三島由紀夫は一体どこでこの情報を知ったのか……?と疑問に思うわけだが、残念ながらそれ以上は調査していない。
ただ、おそらくどこかに(1784年ではなく)「1748年に出版された”The Squire’s Recipes”によると……」という内容を扱った種本が存在しているだろうことは、想像に難くない。

この1748年説は、なぜか日本では今でも生き残っており、例えば、2018年度「バーテンダー」呼称技能認定試験の学科に出題されていたりするようだ。

さらに、ネット上にも大量に、この1748年のスクイアーレシピズだとかスクァイアーレシピーズだとか書かれている記事があるのだけど、その正体は、今回の記事で分かってもらえると思う。

もしもこの話を馴染みのバーテンダーから聞いたりしたら、残念ながらその話は年代が間違っている上に、そもそもでっち上げらしいですよと、そっと教えて上げるといいだろう。

以下参考文献。
“The Squire’s Recipes”, Brother of the Book (1912)
“Table Topics”, Julian Street (1959)
“1,000 Remarkable Facts About Booze”, Richard Erdoes (1981)

さらに参考として。Kendall Banningは、他にも検閲に対する風刺の作品”Mother Goose Rhymes“なども作っている。Banningの活動についてはDartmouth Alumni MagazineのSilly Gooseの記事が簡潔かつ詳細にまとめてくれているので、興味のある方は調べてみてほしい。

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