ケモノヅメ

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前にも書いたことがあるが、僕は別にアニメオタクというわけではない。というよりは、オタクを名乗るなどおこがましいと考えている。

しかしながら、オタクを気取ってみたいと感じることは、ままある。あまり世間で知られていないものこそを評価したい、と感じてしまうのはそういう感情の現れなのだと思う。
一方、逆に世間で広く知られてしまったものについては、語るのを躊躇してしまう。 世間で広く知られているものを、いまさらオタクのように詳しいわけでもない僕が語る必要も無いだろうという思いもあるのだが、どちらかというと、自分(と一部の好事家)だけが知っていたはずの素晴らしいものが、有名になってしまった時に感じる寂寥感のせいでもあると思う。
まことに面倒くさい人種である。

さて、今回取り上げようとしているケモノヅメ(WOWWOW、R-15指定)の監督、湯浅政明は、僕にとってまさにそんな感じなのだ。

いやいやいや、湯浅政明とか、昔からめっちゃ有名やったやん。ちびまる子ちゃんとか、クレしんとか……とか思っているそこのあなたへ。
普通の人はちびまる子ちゃんやクレヨンしんちゃんのアニメと聞いても、湯浅政明の名前は出てきませんから。でも、あなたが我々の仲間だということは分かりました。ともに歩みましょう。

しかし、失礼な言い方になるが、実際のところ、湯浅政明がここまで急激にビッグネームになると思っていた人は、そんなにいないのではないだろうか。「マインド・ゲーム」にその萌芽はあったにせよ、2017~2019年にかけて「夜は短し歩けよ乙女」「夜明け告げるルーのうた」「DEVILMAN crybaby」「君と、波にのれたら」と高評価の作品群を畳み掛けるように完成させ、気がつけば、今や世界的な、日本を代表するアニメーション監督の一人となってしまった。

そんな湯浅政明が、初めて監督した TVアニメが「ケモノヅメ」である。原作にもクレジットされているので、初のオリジナル作品と言ってもいいのかもしれない。

古来日本には食人鬼と呼ばれる種族がいた。食人鬼は普段は人間として暮らしているのだが、しばしば鬼に変身しては(本人の意図とは関係なく)人を食べてしまうという厄介な存在だ。一方、そうした食人鬼を狩る「鬼封剣」という組織もあり、人知れず戦いを繰り広げていた。
ある日、鬼封剣の跡継ぎである主人公は、一人の女性に一目惚れしてしまう。付き合い始める二人だが、実はその女性は食人鬼であった。鬼封剣を捨て、女性と二人で逃亡することになるのだが……といったのが、簡単なあらすじだ。

僕の「ケモノヅメ」の第一印象は、とにかくOPがカッコいい、というものだった。勝手にしやがれの「オーヴェール・ブルー」に乗せて、荒い、影絵のようなアニメーションが流れる。いわゆるTVアニメのOP然とした映像ではない。ネット上で観測した感じでは、ウルトラセブンのOPを思い出した人がそれなりにいたようだ。
これが、とにかく一度観たら忘れられないカッコよさなのである。今までに観たことがないセンスのものだった。

そして、第1話から炸裂する、監督自らの絵コンテ+伊東伸高作監による個性的な作画。近頃流行りの綺麗で端正な作画とは完全に方向性が逆の、揺れた描線の、荒々しい歪んだものであった。「マインド・ゲーム」をもう少し崩した感じ、といえばいいのかもしれない。
作画については、アニメの歴史をさかのぼってみれば、タイガーマスクの作画で知られる木村圭市郎の系譜だと見ておられる方もいる。

なるほど、確かに湯浅政明の名前を聞けば、まず思い浮かべるのは、やはりあの独特な作画だろう。サムライチャンプルーの第9話「魑魅魍魎」、スペース☆ダンディ第16話「急がば回るのがオレじゃんよ」など、観れば一発で湯浅政明だと判るくらいだ。
揺れたような描線と、ときに湯浅パースとも呼ばれる大胆なパースをつけられた構図と、サイケデリックな色彩。アート系などと呼ばれることもあるが、その実、ロトスコープのごとき正確さで現実の輪郭を捉えている作画であるのが、時々使われる実写との合成パートを見ると分かる。
以前当サイトでも少し語ったことがある、THE・八犬伝新章第4話「はまじ再臨」では作画監督を務めていたというのも、納得である。

ケモノヅメは(おそらくは少し前の)現代を舞台にしてはいるものの、全体的な作りはどこか懐かしい。古式ゆかしい80年代のエロとバイオレンスを中心としたノベル―菊地秀行や夢枕獏のような―を彷彿とさせる。かといって、シリアスに寄せた作りというわけでもなく、ベタな笑えるシーンもかなり多い。
「猥雑」という言葉が、いい意味でふさわしい作品と言える。
そして、その作品全体の雰囲気に、作画が非常にマッチしているのだ。

そういえば、同じようなことを「マインド・ゲーム」のときにも感じた覚えがある。リアリスティックでありながらも大胆にパースをつけて歪んだ作画は、現実と非現実との境界を曖昧なものに変え、むしろ非現実を現実的なものとして立ち上がらせる。
しかしながら「幻想的」ではない。あくまでも「猥雑」なのだ。
そして、それがいいのだ。シナリオ、というより個々のキャラクターが、極めて人間的に描かれているからだろう。良く言えば地に足がついている。悪く言えば本能的で下品な部分を持っている。

考えてみれば、ちびまる子ちゃんやクレヨンしんちゃんの頃から、湯浅政明は一貫して「人間」を描いてきたとも言える。かっこ悪く、下品で、本能的で、悪戯をし、笑い、泣く。そして、そういうキャラクターたちが動く姿に、僕たちは共感を覚える。なんとなれば、それは僕たち自身の姿だからだ。
ケモノヅメでも、そうした人間らしい弱さを持ったキャラクターたちが、独特な作画で、生き生きと描かれている。

そういった現実的な内面を持つキャラクターが動く一方で、 6メートルの巨体を持つ探偵だとか、最終話のアクションだとか、あきらかに荒唐無稽なものをぽんと放り投げるように配置してくるのも楽しく、実に独特の味を出している。

そして、初のオリジナル作品らしく、監督の好きなものすべてを詰め込もうとした(と僕は解釈している)ごった煮感が、また面白い。エロ、バイオレンス、ロードムービー、ホラー、サスペンス、ラブ、コメディ。よくもまあ1クールのアニメに詰め込んでまとめたものである。
これ以降の監督作品を見ても、ケモノヅメほどのはっちゃけっぷりはもう見られない。いい言い方をするならば、主題をしぼってきちんとまとまった作品を作るようになった、とも言えるわけだが。
もっとも、書きたいことがそれぞれの作品からあふれてしまった結果、ここまで一気に多数の作品を発表するに至ってしまったのかもしれない……などとも想像してしまう。

映画監督の処女作には、その監督の全てが詰まっている、なんて言葉を思い出した。
原作付アニメの軛から解き放たれて制作された、初のオリジナルTVシリーズ「ケモノヅメ」の懐の深さを見るに、湯浅政明監督は、今後も多彩な作品で僕たちを楽しませてくれるに違いないと、そう思うのだ。

いつものようにイマイチまとまりがなかったが、今回は以上。

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