The Freelance Word Reviver

Share

バーサーク(berserk)、レイス(wraith)、ワイト(wight)、レイド(raid)……どれもゲーム好き、あるいはファンタジー作品好きならば一度は聞いたことがある単語だろう。実はこれらの単語には、ある共通点がある。

実のところ、同様の共通点を持つ言葉はまだまだある。slogan、hostel、(住居としての)flat、onslaught、tournament、glamour、当サイトでも扱ったことがある awesome、そして、freelance。

というわけで今回は、一見なんの関係も無く思える、これらの言葉の共通点を紹介する。安心して欲しい。意外な共通点なので、この時点で答えが分かる人は、ほとんどいない……はずだ。

きっかけは、freelanceという単語の語源・由来について興味を持ったことだ。現代では個人事業主という意味で使われることの多い単語だが、なんといっても響きがカッコいい。フリーランス。ここから話を始めることにしよう。というか、回答もそこにある。

lanceといえば、槍のことだ。英語には他にもspear(短槍)、 pike(長槍)、 javelin(投槍)など「槍」にあたる単語がいくつか存在している。lanceは、その中でも騎兵によって用いられる突撃用の武器を指している。つまり、freelanceという言葉で我々がまず想像すべきは、騎兵ということになる。

ところで、ランスを持っている騎兵の典型としては、突撃用の重装騎兵ということになるのだろうが、ひとつ考慮すべきことがある。それは、freelance なる単語は、正式な用語ではない、造語だということだ。この語は、別に中世に使われていたわけではない。

freelance の初出は、OEDによると1819年のサー・ウォルター・スコット(Sir Walter Scott)による小説、「アイヴァンホー(Ivanhoe)」だという。実はアイヴァンホーには、この言葉(当時は free lance と二語で使用されている)は二回しか出てこない。一度目はモーリス・ド・ブラシーの台詞で、二度目は王弟ジョン(後の欠地王ジョン)の台詞となっており、どちらも設定としては敵役である。そのどちらも、話の内容としては “free lances” は単に傭兵のことを指しているに過ぎない。

余談だが、”free lance” の初出はアイヴァンホーではなく、1809年の”The Life and Times of Hugh Miller” (Thomas N. Brown) だという情報もちらほらと見かける(英語版のWikipediaのFreelancerの項目など)。確かに1809年版(MDCCCIX)と表紙に書かれているものは存在するのだが、内容を確認してみたところ、どうやら誤記のようだ。一般に1858年が初版とされているようなので、憶測としては、1859年版のLが落ちたのではないだろうか。

閑話休題。
アイヴァンホー作中では、他に “free companion” という言葉が、傭兵を示す言葉として使用されている。ここでの free は、無料ではなく、自由を意味する。何が自由なのかと言うと、主従関係から自由なのである。つまり、特定の主を持たない味方=傭兵というわけだが、この言葉は、確立した歴史用語でもある。実際のところ、作中ではこちらの言葉のほうが使用されている回数もずっと多い。にも関わらず、なぜわざわざ “free lances” という言葉を登場人物に言わせたのか?

それは、ランスが騎士の象徴であったからに他ならない。ここでの騎士は、修道会に所属し、神の加護を受け、「騎士道精神」を持つ、我々がイメージしやすい「騎士」である……現実はともかく、とりあえず建前としては。しかし、そうだとして、そんな傭兵まがいの騎士がうようよしているものなのだろうか。

それには、物語の時代背景が大きく影響している。時は1194年、第三回十字軍による遠征が終了し、すったもんだの末に神聖ローマ帝国に虜囚の憂き目にあっていた獅子心王リチャードが英国へと帰還を果たすこととなり、フィリップ二世は王位簒奪を目論んでいた王弟ジョンに「悪魔は解き放たれた」と警告を発する。アイヴァンホーはまさにこの前後の物語であり、上記のエピソードは作中にも挿入されている。

さて、先程第三回十字軍と書いたが、もちろん十字軍を編成する際に、キリスト教の名のもとに多くの兵力がかき集められた。そして、この物語の時点では、十字軍が終了したこともあり、必然的に当時英国内には、その参加兵が大量に帰還してきていた。「キリスト教騎士」は、英国内にあって飽和状態だったとも言える。

作中の主要人物でも、主人公のウィルフレッド、メインの敵役となるブリアン・ド・ギルベール、そして獅子心……じゃなくて正体不明の黒騎士と、主要人物の多くが、十字軍帰りの騎士とである。一応、ネタバレに配慮してみた(してない)。

というわけで、lance という言葉を使用した場合、そこには必然的に十字軍帰りのキリスト教に殉じる騎士である、という意味合いが付加される。つまりは歴戦の、高潔な戦士というわけだ……実情はともかく、イメージとしては。free companion ではなく、free lance という言葉をわざわざ使用した理由は、ここにあるのではないだろうか。そして、それを裏付けるかのように、アイヴァンホーの前半の山場は、王弟ジョンによって集められた騎士たちによる、ランスを用いた馬上槍試合(joust)のトーナメントとなっている。

ジョストといえば、昔ワルキューレロマンツェという、アニメ化もされたエッチなPCゲームが……あ、いや、なんでもないです。

つまり、この語について述べるなら、このイメージこそが問題なのであって、実際の戦闘単位であるとか、武装であるとか、そういったものはさほど重要ではない、と言ってしまってもいいだろう。

スコットによるこの言葉の選び方が、実に巧みに読者の想像力を刺激したことは間違いない。アイヴァンホーの影響によって、この言葉は後に広く用いられるようになっていく。

そして、これが本題なのだが、サー・ウォルター・スコットの影響で広く使われるようになったとされる言葉は、実は free lance だけではない。今回の記事の最初に列挙した言葉は全て、彼の影響をなんらかの形で受けて、現代の英語に残ったとされている言葉なのだ。これがこの記事の最初の問いに対する回答である。

といっても、free lanceのような造語はあまりない(とはいえ「薔薇戦争 “Wars of the Roses”」などは彼の造語である)。その多くは、かつて使われていたものの、スコットの時代ではもはや使われなくなった言葉、つまり古語・死語を蘇らせた、というものだ。典型的なものは、”raid” である。元々 “ride” と同語源のスコットランド語 “rade”(旅行、探検)であるが、17世紀にはほぼ使われない死語となってしまっていたのを、スコットが “遠征・略奪” という意味合いを付加した上で作中で “raid” として用いたのが、実に現代にまで残っている。

面白いことに、その過程で全く誤った意味合いで使ってしまい、その誤った使い方が現在に残ってしまっている単語(warisonなど)もある。スコットのせいで、単語の意味そのものが完全に間違ったものに変わってしまったわけだ。

あるいは、他の作品から言葉を取り、いわば共同的に言葉を広めているケースもある。特に、彼と時代も近い、同じスコットランド出身の詩人ロバート・バーンズ(Robert Burns)の影響は大きいようで、例に出した単語では、wraith, wight などはバーンズの詩作に出ている言葉を、スコットが作中に使用して広まったとされる。

スコットが英語の語彙に与えている影響は、僕も調べるまでは全く知らなかったのだが、実に驚くほど大きい。

どれくらいの影響なのかを定量的に分析するのは難しいが、例えば、OEDの引用例の数でいうと、スコットは聖書・シェイクスピアに次ぐ三番目となっているらしい。この一事をもってしても、驚異的なことではないだろうか?

実際、「博士と狂人」の主人公の一人であるジェームズ・マレーの後継としてOEDの編纂に関わったヘンリー・ブラッドは、その著書 “The making of English”(英語の成立)の中で、特にスコットについての言及を行っている。

またスコットが英語の語彙に与えた影響の大きさについては研究者のよく知るところで、多数の論文があるようだ。

さて、サー・ウォルター・スコットは、いわゆるロマンスもの(中世騎士物語)の大家としてだけではなく、作中に歴史上の実在の人物・事件を組み込んで物語を語る、歴史小説というジャンルの祖としても知られている、大物の作家である。

とはいえ、彼の業績に比して考えてみると、現在の、特に日本においてその名はそれほど有名とはいえない。シェイクスピアならほぼ誰でも知っている、あるいは少なくとも名前は知っているだろうが、サー・ウォルター・スコットと言われてピンとくる人は、それに比べればあまりにも少ない。彼の作品を実際に読んだことがある人となると、いわんやである。黒騎士といってもアイヴァンホーを思い浮かべる人より、小林源文の「黒騎士物語」を思い浮かべる人のほうが多いくらいだろう……たぶん。

しかし、彼が残した本当に偉大なものは、実は現代の英語そのものの中に刻みこまれていて、我々はそれと知らずにそれらの言葉を使っているのである。この記事を読んでそのことを知ったみなさんは、今をいい機会として、サー・ウォルター・スコットの名前を覚え、彼の小説に手を出してみるのもいいのではないだろうか。

今回は、以上。

<追記>アイヴァンホーを読む場合は、岩波版は文体が古く物語に集中しづらいので正直あまりオススメしない(ある意味正確な訳といえるが)。最近出た幻想迷宮ノベル版は、現代ラノベ風の味付けがされた文体で読みやすく、一冊で済んで安く、オススメしやすい。原文にも意外に忠実だ。普通の小説を読み慣れているなら、定番とされる中野好夫訳をじっくり読むのもいいだろう。いずれにせよ、この記事を書くにあたって読み直してみたのだが、やはり面白い。

Share

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。