報酬予測誤差仮説とギャンブル、あるいはごく当たり前のこと

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最初に書いておくと、今回の記事には特にオチらしいオチはない。

ある日、昼休みに突然同僚がチョコレートをくれたとする。いきなりだったので少し驚きながらも、幸せな気分になるかもしれない。
その日から3日間連続でチョコレートを貰ったとしたらどうか。次の日は、昼休みが近づいてくるだけで、まだチョコレートをもらっていなくても、わくわくした気分になるかもしれない。
そしていざ昼休みが来て、仮にチョコレートをもらえなかったとする。そうすると、おそらく普段以上に落ち込んだ気分になるだろう。

上記のたとえが示しているのは、人の気分というものは、その時々に起こっていることで独立に決定されるわけではなく、あらかじめ自分が持っている予測と、実際の結果との差分によって決定されるらしいということだ。

そして、近年の研究により、脳内のドーパミンやセロトニンといった脳内の神経伝達物質についても、実際に上記で上げたような振る舞いを見せるらしいことが分かってきている。これを報酬予測誤差仮説という。このモデルは、具体的にどのように(どのような計算に基づいて)予測が立てられているのかや、時間差で報酬が貰える場合はどのような動きになるのかなど、細かな部分についてはまだ良くわかっていないものの、概ね支持されていると言っていい。

つまり、こうだ。
人は、予測できない報酬に大きな反応を示す。

ギャンブルに対して、当たるかどうかもわからないのに何が楽しいんだ言う人がいるが、見当違いの批判と言える。当たるかどうか分からないからこそ、面白く感じるのだ。そういう風に、人はできている。

そして、もう一つ重要な要素がある。ギャンブルを面白く感じるのに、必ずしも当たりを引く必要はない。当たりを引いた時に十分以上の報酬が得られるという期待感さえあればいい。この典型的なものは、宝くじだ。宝くじは夢を買う、などという言葉があるが、言い得て妙だ。これは、一番最初の例え話でいうと、昼休みが近づくだけでわくわくする、という部分に当たる。

この2つの要素、つまり予測不可能性と、将来の期待感こそが、ギャンブルを面白く感じるエッセンスというわけだ。そう考えた場合、当たった時は勿論、当たらないときでもドーパミン神経系が活性化されるギャンブルは、非常に良く出来た娯楽だといえる。

ところで、ギャンブルの快感はあまりにも強力なので、脳に刻印されてしまう云々という解説をよく見るが、実際の所、ギャンブルをやってもギャンブル依存症に陥ってしまう人の割合はそんなに多くはない。あるいは、怪しいところまで行っても、大体どこかで引き返す。これは実は薬物依存でも同じで、脳内物質に直接作用するような強力な快感であっても、依存症に陥るのは一部の人だけなのだ。

従って、ギャンブルが楽しいということと、依存症になってしまうということの間には、大きな溝があると言ってもいい。ただ、依存症に陥ってしまった人は、ドーパミン周りの働きがどこかおかしくなっているのは確からしい。例えば、脳神経学的には、D2受容体と呼ばれる部分が大きく関わっているらしいという話もあるが、詳細なメカニズムまでは分かっていない。

依存症のメカニズムについていざ調べてみると、ノルアドレナリン・セロトニン・ドーパミンなどの関係に基づき、依存症に陥るメカニズムを解説している記事は、あちこちで見つかる。しかし、敢えて言うならば、現段階でははっきり分かっていないということは、理解しておくべきだと思う。

依存症、特にギャンブル依存(ギャンブル障害)に関する研究は、ここ10年で論文数が一気に伸びている分野で、これまで常識とされてきたことが、次々と書き換えられている状態にある。最近あった医療系キュレーションサイトの問題ではないが、情報については気をつけて取捨選択する必要があると思われる。

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