横浜の味奈登庵・上田の刀屋

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自分で言うのも何だが、食べ物にほとんど好き嫌いが無い。

「嫌いな食べ物」で思いつくものが無い。例えば、とんでもなく不味い食べ物は食べられないこともあるかもしれないが、基本出てきたものは何でも美味しく頂いて生きている。

ところが問題なことに、「好き嫌い」が無いという言葉の通りに、「好きな食べ物」というのも特段思いつかないのだ。
「ご飯何がいい?」とか訊かれるのが困る。文字通り「なんでもいい」からだ。

食べ物に関する感情の振れ幅が小さい、つまり食にこだわりがない。

当然オシャレな店や高級な店など知るはずもない。カミさんとのデートでもスタミナカレーの店バーグだとか、家系ラーメンの雄であるところの杉田家に行くような男である(杉田に住んでいたのもあるし、金銭的な問題もある)。
もっとも、それを了としたから僕と結婚したのであろうことを思えば、うちのカミさんも、食に関しては僕と似たりよったりなのではないかと推察される。

勿論、よく通う店みたいなものはある。多くは良くあるチェーン店だったりで、特にそこでなければ駄目ということは少ないのだが、蕎麦屋に関してはひとつお気に入りの良く行く店がある。

それが横浜にチェーン店を構える「味奈登庵」だ。

ところで、実は僕は、(立ち食い蕎麦ではない普通の)蕎麦屋はあまり好きではない。言ってはなんだが、どうもお高く止まっている店が多い印象があるからだ。上品で、値段が高い。せいろだかざるだか、一枚ちょろっと乗った「もり」で1000円とか。それに天ぷらをつけて2000円とか。
東京の蕎麦は元々ファストフードみたいなものだから、量が少ないのが正しい姿だなどといった解説を見たことがあるが、それなら立ち食い蕎麦でいいのではないか。富士そばや、ゆで太郎でええやん。というわけで、立ち食い蕎麦は許す。というか、好きだ。押井守のせいもあるかもしれない。

味奈登庵はそういった類の「高級な」店ではない。「蕎麦を腹いっぱい食え!」といった気概が感じられる店なのだ。
実のところ味奈登庵には二種類ある。フルサービスの普通の店と、セルフサービスの店だ。フルサービスの店でもそれなりに安いのだが、セルフサービスの店は輪をかけてびっくりする安さだ。
なんせ1kgのもり蕎麦が、550円(税込・2019年8月現在)で食べられる。こんな店は他で見たことがない。今は閉店してしまったが、京都市役所前グリルアローンのオムライスも、この富士山盛ほどの迫力ではなかった。

しかも、である。それなりに美味いのだ。
勿論、手打ちだなんだと高級な蕎麦屋の手間ひまかけたものほどではない。工場製麺の、安定した味だ。ちょろっとした一枚のもり(通常150g前後だろう)で1000円の美味い蕎麦と、大盛(約500g)で440円のそこそこ美味い蕎麦。どちらを選ぶかと言われれば、僕は後者である。大盛こそ正義。

そんなわけで、その驚異のコストパフォーマンスのため、ここ数年は蕎麦を食べに行く時は、90%は味奈登庵で済ませてきた。
ちなみに残りの10%は家の近所、京急田浦駅前商店街の中にある「めん処船食」だ。こちらは大盛系ではないが、製麺所がやっているだけあって普通に美味しい、地元の人気店である。

さて、そんな味奈登庵を愛する僕が、先日夏休みに長野、具体的には軽井沢~小諸~上田方面へ旅行へでかけた時のこと。
元来が無計画な僕である。その日は小諸の懐古園と上田の城址公園に行くことだけは決めていたのだが、それ以上の計画は立てていなかった。いざ食事というときに、おもむろにGoogleマップを開き、蕎麦屋を検索したところ、上田城址公園の近くに評判のいい、少し変わった名前の店があった。

それが「刀屋」だ。

恥を晒すようであるが、後できちんと調べてみたところ、超がつくほどの有名店であった。
かの池波正太郎も、真田太平記の執筆中に通い詰めていたらしい。池波正太郎といえば、僕も真田太平記・剣客商売・鬼平犯科帳あたりは全巻きちんと持って(勿論読んでも)いるので、そういう意味では縁があったのかもしれない。

まず、なんと言っても店構えが良かったので、写真を撮ってしまった。

ちなみに、肝心の蕎麦の写真は撮っていない。どうも店の中で写真を撮るのは気後れしてしまう、古いタイプの人間なのだ。気になる方は「刀屋 蕎麦」と画像検索すればいくらでも出てくるかと思う。

午後2時過ぎに着いただろうか、幸い待ちもなく入ることが出来たが、丁度満席になったようだった。僕とカミさんと4歳の娘の3人で入ったのだが、何も言わなくても子ども用の食器を持ってきてくれたあたり、子連れの来店も慣れている感じで、好感を持った。

蕎麦を頼む時に盛りの多さを訊かれる。小・中・普通・大盛とあるのだが、周りで注文している人の様子を伺うと、大盛は相当多いらしい。なんせ、一見さんがいきなり大盛を頼もうとすると、断られるのだ。僕が店にいるわずかの間だけでも、「まずは普通にしてもらって、少なければ差額で追加できますから……」と店員さんが言うのを何度か聞いた。

僕は普通盛りに、カミさんは娘と合わせて中盛(+天ぷら)にしたのだが、はたしてやってきたのは、味奈登庵の大盛程度の量であった。……なるほど、これが普通……か。

おそらく、東京で言うところの普通盛り1枚分が小、2枚分で中、3枚分で普通……といったところだと思われる。メニューによると、小から順に600円、650円、700円、900円となっている。となると、50円ごとに1枚分ほど追加されるとして、大盛はいきなり7枚分の1kg前後となるわけだ。お店の人が止めようとするのも、むべなるかな。

味奈登庵の大盛が大体500g。その次はいきなり富士山盛りで約1kgになるのだが、刀屋の普通盛りと大盛の関係とほとんど同じだと気付き、その奇妙な符合に、少し笑ってしまった。
実際どんな感じなのか気になる方は、「味奈登庵 富士山盛り」「刀屋 大盛」と検索してみてもらいたい。

さて、肝心の蕎麦であるが、関東で食べ慣れた蕎麦とは全然違っていた。
関東の蕎麦はどちらかと言うと細め、つるつるとのど越しを味わう感じのものが多いが、刀屋の蕎麦は手打ちで太めの乱切り、固めでコシの強いものだ。つるつるというより、もぐもぐと食べる。

しかしまあこれが、実に美味い。
あっという間に平らげてしまった。カミさんの方もあっという間に食べ終わってしまっていたのだが、気の利いたもので、店員さんが「もう少し追加しますか?」と訊きに来てくれたので、追加して普通盛り分の量にしてもらった。

普段はあまり蕎麦を食べたがらない娘なのだが、最初は渋っていたものの、一口食べ始めると、いつもの蕎麦とはどうやら様子が違うぞということに気づいたのだろうか、もりもりと食べていた。

そして、食べ終わりを見計らって蕎麦湯を持ってきてくれる。少しとろみの付いたそれは、濃く蕎麦の香りが残っており、また良し。
実に満足のいく昼食だった。

横浜(というか逗子だが)に帰ってきた今でも、刀屋の蕎麦を恋しく感じる。それほどの逸品だった。

もちろん、味奈登庵には味奈登庵の良さがある。都会らしい工場製麺で出す圧倒的なコストパフォーマンスは、刀屋には真似の出来ないものだろう。値段だって1.5倍違う。しかし、さすがは蕎麦の本場と言うべきか。あの食べごたえのある蕎麦の味に関しては、刀屋に軍配を上げざるを得ない……いや、むしろ、今まで食べてきた蕎麦の中で一番美味かったかもしれない、なんて。

もし僕がなにかのしくじりで横浜・江戸を所払いされる羽目になったなら(どんなシチュエーションやねん)、刀屋の蕎麦を食べるために、上田に移り住むことにしようか……などと考えている。

それまでは、味奈登庵で蕎麦を手繰る日々を続けることにする。

……ちなみに余談だが、刀屋ほどでは無いと思うが、実は上田周辺の蕎麦屋は大体どこも量が多いらしいのであった。

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