フェリペ2世とドン・カルロスと機械じかけの修道士

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前回記事の続き。

実はシラーの「スペイン王子ドン・カルロス」には、さらに元となる本が存在する。それが、サン・レアル(César Vichard de Saint-Réal)の”Don Carlos, Nouvelle Historique”(1672)だ。その中に、1562年に起こった、ある事件のことが書かれている。この事件は、シラーの戯曲やヴェルディの歌劇には含まれていないものの、サン・レアルの描いたドン・カルロスの人物像がどのようなものだったのかを、雄弁に物語っている。

曰く。
カルロス1世(カール5世)の死後、フェリペ2世の統治下において、非カトリックに対する宗教弾圧が強化されていった。それに異を唱えた王子ドン・カルロスは、異端審問官に目をつけられたばかりか、民衆の怒りをも買ってしまう。
そのためフェリペ2世は、ドン・カルロスをアルカラ大学(当時神学で有名だった)へ行くように命じ、体よく追い出しにかかる。そうして王子がアルカラ・デ・エナーレスの地に到着し、贈られた馬に乗った時に、事件は起こった。馬が突然暴れだし、落馬してしまったのだ。落ちた際に後頭部をひどく打った王子は、しばらく生死の境をさまようことになる。
民衆はこの事故を、異端に肩入れした罪に対して、神が与えた罰だと考えた。父親のフェリペ2世も大した関心を示さなかった。しかし、その妻エリザベート(当時17歳、王子と同い年)は、ひどく絶望し、取り乱し、無分別にも愛の言葉を綴った手紙を送ってしまう。その愛の力で王子は蘇るのだが、後日、なんとその手紙がフェリペ2世の手に渡ってしまい……。

なんというドラマチックかつ、ロマンチックな話だろうか。なるほど、ヴェルディの歌劇を、この続きだと考えると、非常にしっくりくる。

ところが、だ。
この話は、全くのデタラメなのだ。

1562年4月19日、日曜日のこと。
当時、アルカラ・デ・エナーレスにいたスペイン王子ドン・カルロスは、彼の住居で、普段はあまり使われていない階段を駆け下りていた。その時、階段の不具合だったのか、足を踏み外したのかは分からないが、階段を転げ落ちてしまう。その際、下の階のドアに後頭部をひどくぶつけてしまったのだ。
残されている各国の大使の報告によると、可愛い小間使いの女性を追いかけている最中の事故だったという。(あるいは、庭師の娘との逢引に向かう最中の事故だったという話もあるらしいが、どちらもスペインの記録には書かれていないようだ)

頭蓋膜が見えるほどの傷口だったが、当初は王子の意識もはっきりしており、命に関わるほどの様子でもなかった。報告を受けたフェリペ2世は、宮廷の医師団を派遣し、王子の治療に当たらせることにした。
ところが、傷口が膿んでしまい、様子がおかしくなっていく。どうも危ないかもしれないという知らせがフェリペ2世の元にもたらされたのが4月30日の夕方のことだ。王は取るものも取りあえず、大急ぎでアルカラへと向かう。(その際、かのヴェサリウスも同行している)

その後、傷口からの感染のせいだろう、炎症が上半身や顔にまで広がり、王子は目を開けることすらできなくなってしまう。さらに容態は悪化し続け、5月9日には、王子の死は避けられないという状態にまで陥ってしまった。

ところでこの間、マドリードやアルカラはもちろん、スペイン全土で王子の回復を願う祈祷が行われ、民衆も広く参加していたという記録が残っている。王子は民衆や教会に嫌われてなどいなかった。

そんな中、アルカラの民は、現地で聖人と崇められている(正式に列聖はされていない)、アルカラのディエゴ(Diego de Alcalá)の力を借りようと思いつく。
アルカラのディエゴは、1463年に亡くなったフランシスコ会の修道士で、カナリー諸島に宣教を行ったことでも知られている。アルカラの地には、その遺骸が保管されていたのだ。しかも、その遺骸は、かつてカスティリャ王エンリケ4世の腕の痛みを治すという奇蹟を起こしたことがあるという。
かくして5月9日の夕方、フランシスコ会の修道士を先頭に、アルカラの民衆はディエゴの遺骸を王子の部屋へと運び込み、王子にそれを触らせた(一晩横に寝かせておいた、という説もある)。

もちろん、医師団も医師団で患者を助けるべく治療を続けていた。
そんな横で、フェリペ2世は、絶望に沈みながらも、神に祈りを捧げていたという。

しかしながら、5月9日の真夜中、いよいよ王子の最期の時が近いと医師は判断し、その旨を王に告げた。これ以上自分の息子が死んでいく様を見ていられなくなり、王はマドリード近くの修道院へと向かい、祈りながら知らせを待つことにした。

ドン・カルロス本人の言葉によると、その5月9日の夜、不思議な夢を見たらしい。
木の十字架を手にした修道士が部屋に入ってきて、寝台の横に立ち、「あなたは良くなるだろう」と告げたというのだ。

そして驚いたことに、実際にその夜を境に急激にドン・カルロスの容態は良くなっていく。奇跡的な事だった。

政治的な駆け引きがいろいろとあったようだが、最終的にフェリペ2世とドン・カルロスは、この出来事を、アルカラのディエゴによる奇蹟がなされたのだと考えた。そして、アルカラの地でかねてより熱望されていた、ディエゴの列聖に対する推挙が、正式に王家よりバチカンに対してなされることにもなった。

その後。

からくも生き延びたドン・カルロスは、その後常軌を逸した言動をするようになっていったらしい。奇蹟を体験したことによる心情の変化があったのか、あるいは、もしかすると、なにか頭部を強打したことによる影響があったのかもしれない。

そして1567年、ネーデルラントへ出奔しようと準備を進めていたところ、フェリペ2世によって幽閉され、そのまま1568年に短い生涯を閉じることになった。

奇蹟が起こった、わずか6年後の話だ。

実はその間の1564年、ドン・カルロスの遺言に、ディエゴの列聖の推挙に対する文言が追加されている。それは、たとえ自分が死ぬことがあったとしてもなお、ディエゴを聖人として認めてもらうよう請願を続けて欲しいという内容だった。
その遺言の通り、フェリペ2世は3代の教皇に四半世紀に渡って要望を送り続け、ついに1588年、アルカラのディエゴは正式にカトリックの聖人Didacus of Alcaláとして認められる。スペインではSan Diego de Alcalá(サン・ディエゴ・デ・アルカラ)と呼ばれるその名は、現在のカリフォルニア州サンディエゴの由来ともなっている。

王子は死んでしまったが、王により約束は果たされたのだ。

歌劇「ドン・カルロ」で語られたような、王と王子と王妃の悲恋の物語は、そこには無かったかもしれない。
しかし、その影には、父親と息子、そして信仰に関わる、もっと普遍的な感動を持つ物語が隠されていたのだと、そう感じないだろうか。

最後にもう一つ、興味深い言い伝えを紹介する。

息子の回復を神に祈っている最中、フェリペ2世は、奇蹟によって息子を助けてくれたなら、自分もそれに報いる奇蹟を起こしてみせる、という約束を神との間で交わしたのだとか。先に書いた通り、王子は無事に助かり、どうやらアルカラのディエゴがその奇蹟に関わったようだった。
そこで、アルカラのディエゴを蘇らせるという奇蹟をもって、神の起こした奇蹟に報いることにした。そして、カール5世の代より王宮に仕えていた時計技師Juanelo Turrianoに命じて、一体のオートマタを作成させたそうだ。

それが、現在はスミソニアン博物館に収蔵される、このオートマタだというのだ。

それが本当のことなのかどうかは、実際の所分からない。裏付けのある歴史的資料は無い。

ただ、このオートマタは、他のJuanelo Turrianoの作品と良く似た内部構造を持っているにも関わらず、その風貌は他の作品と違っており、特定の誰かをモデルにしている可能性があるという。

王フェリペ2世と王子ドン・カルロスの物語の400年以上後、今でもオートマタだけが祈り続けている。

今回の話は以上。

以下追補。

今回の一連の記事は、以下の資料を参考にしている。
A Clockwork Miracle – Radiolab
今回の話を知るきっかけとなったpodcast。Radiolabは他にも面白い話が満載なのでおすすめ。
Clockwork Prayer: A Sixteenth-Century Mechanical Monk
Radiolabの元ネタとなった、Elizabeth Kingによる記事。オートマタの由来に関する調査。
Putting Don Carlos Together Again: Treatment of a Head Injury in Sixteenth- Century Spain
ドン・カルロスの事故に関する詳細。医学的見地からの報告を中心としたまとめ。

実のところ僕の今回作成した記事自体は、大半が上記参考資料の引き写し&再構成にすぎない。が、この出来事に関して日本語で書かれた記事が、少なくともインターネット上にはほとんど見当たらなかったため、敢えて(恥を忍びつつも)公開することにした。このブログのアクセス数など知れているが、何かの拍子にでも検索で引っかかり、日本でこの話が知られる一助になってくれれば嬉しいことだと思っている。より詳しい話を知りたい方は、上記を当たって欲しい。

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「フェリペ2世とドン・カルロスと機械じかけの修道士」への2件のフィードバック

  1. カール5世の時計技師、および、フェリペ2世、ドン・カルロス転落事件
    について興味あり、検索をしておりましたところ、
    こちらの記事が大変参考になりました。
    ありがとうございました!

    1. わざわざのコメント、ありがとうございます。
      お役に立てたようで、なによりです。

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