「底付き」は必要なのか

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Alcoholics Anonymous(以下AA)から派生した自助グループ系の治療プロセスにおいて、ほぼ間違いなく言及されるのが、回復のためには「底付き」が必要だ、ということだ。

そして、最初に結論を書いておくと、僕がこれから言おうとしていることは、依存症の回復に底付きなど不要、ということだ。それを、順を追って話していこうと思う。

この「底付き」というのは、元々が定義の曖昧な言葉で、それがさらに混乱に拍車を掛けているようなところがある。そこで、まずはこの言葉の意味から考えてみたいと思う。

古典的なAAの回復に至るシナリオ(序盤)は、以下の様なものだ。

(アルコール)依存症になった人は、最初は自分の意志の力でコントロールを試みる。ところが、それがうまくいかない。何度も失敗を繰り返すうちに、心身、人間関係、あるいは経済的な状況がどんどん悪化していく。最後の最後にどうしようもなくなってしまい、そこで初めて自分の力だけではどうしようもない、ということを認めざるを得なくなる。そうしてAAに繋がることで、自分以外の何か大きな力(higher power)の導きによって、自分の回復を求めていく。

この転換点のことを「底付き」(hitting rock bottom)という。AAの12ステップでは1~3に当たり、もっとも重要な部分で、ここだけは自分で気づく必要がある、ということになっている。したがって、本人が「底付き」を起こすまでは、周りは見守るしか無い。いわゆるtough loveだ。

この考え方の問題点は、「底」がどこにあるのか誰にもわからないという点にある。入院しても底をつかない、お金がなくなっても底をつかない、犯罪をして刑務所に行っても底をつかない……となると、最後に待っているのは死だろう。また、そこまで行かないとしても、底付きを待つまでの間、状況はどんどん悪化していく。依存症の人を助けるために、依存症の人を苦しめる必要があるというのは、本末転倒ではないだろうか。

こんなに苦しいのなら悲しいのなら、底付きなどいらぬ。

ここで本当に考えなければならないのは、自分自身が依存症であると認識し、自分の力ではコントロール出来ないと理解するということは、仮に最終的には必要なことであるとしても、回復(あるいは治療といっていい)を開始するにあたって、本当に必要な要素なのか、ということだ。

ここに、興味深いデータがある。
(Anglin, M.D., Prendergast, M., & Farabee, D. (1998). The effectiveness of coerced treatment for drug-abusing offenders.)

アメリカの薬物依存者救済制度にドラッグコートというものがある。簡単に言うと、違法薬物使用で逮捕された際に、ちゃんとした治療を受ければ刑務所に行かないで済むといった制度だ。
この制度で治療を始めた人、つまり仕方なく治療を始めた人と、自分の意志で治療を始めた人とで、回復率に差はほとんどなかったというのだ。
もちろん、調査の原文にも書かれているが、考慮されていないデータもあるし、別の研究では、回復したいという明確な意識を持っている方が回復率が高い、などという話もあったりする。
しかし、そういうものを差し引いてなお、少なくとも治療を始めるきっかけにおいては、本人に治療の意志があるかどうかは、我々が思っていたほど回復率に差を生じさせないというのは確からしい。

つまり、結局のところ重要なのは、適切な治療に本人を繋げてやることなのだ。その際、ドラッグコートの仕組みから分かるように、飴と鞭のやり方でも問題はない。

さて、以上のようなことが分かってきて、方針を変更している自助グループも多い。すなわち、底付きをただ待つ必要はなく、周りからの働きかけによって「底上げ」(bottom up)をしてやることで、底付きまでの時間を早めてやることができるといった考えだ。回復の最中に自然に底付きを起こすとか、あとから見て底付きだったと分かる、といった説明をしている場合もある。

結局のところ、いわゆる「底付き」は、回復の途中に結果的に起こることなのかもしれないが、回復を始めるのに必要な要素というわけではない。

さらにいうならば、今や「底付き」なる用語を使う意味そのものが無いのではないだろうか。これが僕の考えだ。

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