止められない行動をどうやって止めるか?5(自分を疑え!編)

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感情解釈の部分に働きかけるとは、一体どのようなことなのだろうか。
その話をするためには、なによりまず、トリガー→生理反応→感情解釈という一連の流れが、具体的にどのようなことなのかを、もう少し細かく見ていかなければならない。

分かりやすくするために、パチンコを例にしよう。

まずトリガーが起こる。これはいろいろなケースがあるだろう。給料が出てお金をもってたから、昨日誰かと喧嘩してむしゃくしゃしたから、完全に生活の一部になっていれば、パチンコ屋が開いている時間だから、なんていうのもあるだろう。

いずれにしても、対応したなんらかの生理反応が起きる。これは以前からの依存的行動によって学習されたもので、細かな話をざっくりすると(なんだそりゃ)、報酬(金銭的勝利ではなく、精神的報酬である)期待に伴うドーパミン放出が行われ、行動を促進するような脳内活動が行われる。この状態を意識で知覚した場合、そわそわするのを感じる、という人が多いだろう(人によっていろいろな言い方はあるだろうが)。

次に、脳は認知されている状況を参照する。なにかそわそわするけどなんだろう?そういえばもうすぐパチンコ屋の開店時間だ。過去の記憶でも、このそわそわのあとではパチンコ屋に行っている。
そうして、そわそわがパチンコ屋に行きたいという気持ちだと解釈される。

自分はパチンコ屋に行きたがっているようだし、どうやらパチンコに行けば期待された報酬を得られそうだ。かくして、行動選択がなされ、最終的な意思決定が行われる。パチンコに行こう。

これが一連の流れとなるわけだが、この中に、一部違和感を覚えるポイントは無かっただろうか?そこが、介入可能なポイントだ。

それは、そわそわをパチンコ屋に行きたいという気持ちだと解釈する必然性は無いということだ。どういうことか?

そもそもパチンコ屋に行きたいという気持ちにはなっていなかったのだ。

ここで、一番最初に紹介した事柄の、最後の一つを思い出してもらいたい。自分の意識が常に正しいとは限らない。無意識の行動の結果から生じる、後付けの歪んだ解釈に過ぎないかもしれないというものだ。

なるほど、確かに一番最初にパチンコに通いだした頃は、自分からパチンコに行きたいと思い、遊んでいたかもしれない。しかし、依存症になってしまってからはどうだろうか。なにかそわそわした思いを抱えたまま半ば自動的にパチンコに通っていたと思うが、そのそわそわした思いは、本当にパチンコに通いたいという気持ちだったのだろうか。実は、(他の方法では十分な報酬と感じられないため)結果的にパチンコに通ってしまっただけで、それを後付けで、自分はパチンコに通いたかったのだと解釈していただけなのだ。
そして、それを何度も繰り返すうち、その解釈が固定されてしまったのだ。

そわそわした感覚は、単なる物質的な生理反応にすぎない。それをパチンコ屋に行きたい気持ちだと感じるのは、脳機能に騙されているだけなのだ。

もう一度、アルコール依存を例にとって典型的なパターンを紹介しよう。

トリガーは、前に飲酒をしてからそれなりの時間が経つ、ということだ。
すると、経験したことのある人もいるだろうが、手が震えてきて、落ち着かない気持ちになってくる。人によっては頭痛のような症状が出る人もいる。離脱症状というやつだ。
離脱症状は、再度酒を呑むとおさまるため、ついつい呑んでしまう人が多い。すると、どうなるか。脳は離脱症状は酒を呑みたい気持ちの現れだと勝手に解釈してしまうのだ。なぜなら、離脱症状の後に酒を呑んでいるからだ。
結果、アルコール依存の人は、離脱症状を自分が酒を吞みたがっているんだ(あるいは、呑む必要があるのだ)と解釈するようになってしまう。お分かりのように、それは本来酒を呑みたいという感情ではない。アルコールからの離脱症状に伴う生理反応にすぎない。それを、酒を呑みたい気持ちであると、脳機能に騙された結果、誤って解釈しているのだ。

この、脳機能によって自分の意識が騙される仕組みそのものを理解してもらうことこそが、一番重要なポイントとなる。なぜなら、そのことを理解する、つまりあなたが感じているのは単なる生理反応であって、本当は依存的行動への欲求ではないと理解する、それだけでも、あなたの無意識は影響を受けるからだ。これはふんわかした理想論ではなく、はっきりした根拠のある話だ。

次回は、その話からする予定だ。

 

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