ポール・サイモンの「恋人と別れる50の方法(Fifty ways to leave your lover)」の中では、実はその方法が5つしか歌われていない……というどうでもいいトリビアから、今回の話を始めようかと思う。
まあ、話によるとそもそも適当に書いた歌詞だとかなんとか。
これは個人的に感じていることで、特に定量的な研究などはしらないのだが、英語では(大げさな)適当な数を言う時には、なぜかやや具体的な数字を出すことが多い気がする。
例えば誰かから何回も何回も同じ話を聞かされたとする。
日本語だと、相手に向かってこう言うだろう。「その話はもう100回くらい聞いたよ」と。場合によっては100回じゃなくて1000回かもしれないし、1万回かもしれない。
これが英語だと、「もう350回は聞かされたよ」とか、あるいは6400回だとか、妙に具体的な数字を出すことがやや多い気がする、という意味である。
もっとも、日本でも八重桜だとか八千代だとかは似たようなものかな……?という気はする。こちらは(少なくとも現在では)ほぼ定形でしか使用されないが。
とりあえず、Fifty ways to leave your loverも、そういった感じの文脈のある表現だよなぁ……などと思ってみたりするわけである。
ところで、適当な数字を表すための、専用の単語があるのをご存知だろうか。
some, few, a lotなどとは違う、一風変わった、なんとなく数に聞こえるけれども実はちゃんとした数ではない、不思議な単語たち。
まず、大きなくくりとして-illionの系列がある。
zillion, jillion, squillion, bajillion, gazillion, etc.
他にもまだまだ大量に存在するらしいが、個人的に聞いたことがあるのはここで挙げたものくらいだ。
おおまかにはgazillion ≒ bajillion > zillion (jillion) > squillion みたいな感じらしいが、特にそういった決まりというのがあるわけではないらしい。おそらく、単純に語感からネイティブはそう感じるとか、そんなことなのだろう。
ところで、僕が最初にgazillionという単語を聞いた時に連想したのは、赤い光弾ジリオンのことだった。後から知ったのだが、ジリオンの名前の元は、wikipediaの記事によると、まさにこの「なんだかよく分からない大きな数字」zillionとのことだ。
ちなみに、ゴジラとジリオンを足したようなgodzillionという単語の用例も確認されているようだ。
これらの単語群は、1930~1940年代辺りから生まれ始めたらしい。
少し違った観点だが、辞書によって初出の扱いは違うものの、Merriam-Websterによると、millionaireという単語が1786年に(仏語では1712年とされる)、billionaireという単語が1844年に生まれていることを考えると、時代が進むにつれ、それより大きな数字を良く扱うようになった、ということなのだろう。もちろん、zillionaireという単語も、1946年を初出として収録されている。
billionあたりまではなんとなく想像できなくはないが、それ以上となると、どうもよく分からないので、それっぽい数字を創作して話をすることが多いため、適当な数字が生まれるようになった……というのは穿った見方だろうか。
日本語でも、百万長者(これはどうやらmillionaireの訳語から生まれたらしい)の上になると、億万長者というよく分からない言い方になるのも、似ている気がしないでもない。
さて、それ以前、つまりそこまで大きな数字を扱わなかった時代からも、似たような単語がいくつもある。ここでは2つ紹介しておこうと思う。どちらもzillionほど大きくはないが、「たくさんの、いっぱいの」という意味になる。
ひとつは”umpty”あるいは”umpteen”。
実はこの語源を調べると、モールス信号のニックネーム”iddy-umpty”から来ている(もしくは、モールス信号の長点を表す”umpty”から来ている)という記述を、そこかしこで見かける。
実はそこをきちんと調べて独立した記事にしようかと思っていた……のだが、調査しきれなかったので、軽く紹介だけしておく。
モールス信号の成立が1850年代半ばで、後に一次大戦にかけて軍事において電信が重要な役割を果たすようになる。
そして、インド方面でモールス信号の教育をする際に、実際に信号の短点と長点をそれぞれ”iddy”, “umpty”と呼んでいたらしい。これは、信号の音(トン・ツー)というよりは、通信機のレバーを押した音を模したもの、つまり、押したときの音と、上がったときの音が合わさったものと思われる。無理やり文字で書くなら、単点を打った時は「タタッ」、長点を打った時は「タッタン」といった感じで聞こえるからだ。それぞれ、iddy, umptyと表現できなくはない。
ただ、問題は、umptyという単語の初出は、”iddy-umpty”というニックネームの成立時期にちょうど近い時期、あるいはもう少し前の時期にあるようなのだ。
考えてみれば、iddyやumptyという響きは明らかに言葉遊び経由だし、例えばマザーグースのHumpty Dumptyの成立時期は、18世紀だ。
となると、-umptyという響き自体は昔からよくある謎めいた遊びのフレーズであって、umptyという単語自体がモールス信号のニックネームを経由する必然性は、特に無い。
以上を踏まえると、この”iddy-umpty”が、よく分からない数を表すumptyの元になっているという説は、怪しいんじゃないかなーと、個人的には思っている。
さて、もうひとつ紹介しておきたいのが、”forty-leven”という単語だ。こちらも19世紀から使われる、由緒正しい?単語である。派生したfifty-levenなんてのもある。
fortyなのかelevenなのか、足して51なのか、なんだかよく分からないけど数字っぽい響きが素敵な単語だ。積極的に使っていきたい。
僕がこの単語を初めて聞いたのは、”Take Me Home Country Roads”(カントリーロード)で知られる、John Denverの”Grandma’s Feather Bed”という曲だ。非常に軽快で歌詞も愉快なカントリーソングなので、公式のYouTubeのリンクを置いておく。
ところで、この記事を書いている最中に知ったのだが、この曲は、実はJohn Denverがオリジナルではないらしい。カントリー歌手のJim Connorが、昔を思い出して祖母に宛てて書いた手紙を曲にしたものがオジリナルらしい。Jim Connorは1969年からしばらく、かのキングストン・トリオの一員にもなっており、キングストン・トリオのライブで演奏されたこともあるようだ。
その後、1974年にConnorの許可を得てJohn Denverが自らのアルバムに収録し、そこからヒット曲となったとのこと。
Jim Connorの故郷、アラバマ州ガズデンの地方紙、”The Gadsden Times”のこちらの記事が詳しい。
Connor’s ‘Grandma’s Feather Bed’ almost wasn’t recorded
これを読んだ時、John Denverの曲だと勘違いしていてごめんなさい、という気持ちになったのだが、それもこれもJohn Denverが偉大すぎるせいである。
というわけで、John Denverの偉大さを噛み締めつつ、今回は以上。
……いや、Jim Connorを讃えろよ、そこは。