英語は難しいという、当たり前の話

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このブログでは、(2019年現在のところ)英語の単語や言い回しに関することを比較的多めに扱っているのだけど、実際のところ、僕自身が英語にすごく詳しいのかというと、そんなことはない。ただ、その場しのぎで色々と調べるのが得意ということに過ぎない。

であるにも関わらず、そもそもなんでそんなに英語を読むようになったのかというと、ゲームのためである。特に、中学高校の時に部活動として行っていたスクラブル(Scrabble)、大学に入るあたりで始めたMagic: the Gatheringの2つのゲームが大きなきっかけではないかと思う。Scrabbleでは英単語の綴りに関する感覚を、MtGでは(当時は英語版しかなかったこともあるが)英語の文章の読み解き方の基礎力が身についたのでは無いか、と勝手に考えている。
それ以外にも、アナログ・デジタル問わず、様々なゲームを英語で遊んできて、今に至る。
勘の良い方は気づいたかもしれないが、僕のハンドルのscrblbugは、Scrabble Bugである。

そんな僕は、敢えて声を大にして言いたい。
日本人にとって、英語は難しい。

いや、そりゃ難しいんだろうよ、お前の中ではな……みたいな反論が来るかもしれないが、実際難しいのだと思われる。実際、僕より遥かに多くの英語のテキストに触れているであろう、翻訳のプロみたいな人たちだって、案外いい加減な翻訳をしている(あるいは、してきた)のだ。

ちなみに、別に某映画字幕翻訳者のことではない。もっと一般的な話だ。

僕がそのことを意識するようになったのは、ある一冊の本がきっかけだ。それが、「推理小説の誤訳」(古賀正義、日経ビジネス人文庫)である。
アガサ・クリスティを中心とする推理小説の誤訳が取り扱われているのだが、これが実に面白い。法律用語の誤りなどに関しては(筆者の本業が弁護士ということもあってか)重箱の隅をつついている感もあるが、意外と単純な、言い回しや文法の読み間違いなども多い。
この本の最初の版は1983年(サイマル出版会)とのことなので、もう古典と呼んでもいい古さである。今でこそ、書籍などの誤訳を扱った本は数多く出ているが、もしかするとその嚆矢と言えるのかもしれない。

僕は1990年代の半ば頃にこの本を読んだのだが、なるほどと腑に落ちることがあった。洋楽を買ったときについてくる歌詞カードの意味の分からなさはこれだったのか。みんな割とテキトーに訳してたのかもしれないな……と。

「推理小説の誤訳」は、読み物として楽しめるつくりの、どちらかというとエッセイ寄りの本なので、興味のある方は是非読んでみて頂きたい。

一方、もっと本格的な英語学習用の、誤訳を取り扱った本もある。
誤訳の構造」(中原道喜、聖文新社)がそれだ。もともとは1987年に吾妻書房から出版されたものだが、2003年に聖文新社から再販され、後に「誤訳の典型」「誤訳の常識」と続編が出ている。
これらを読んでみると、一見難しそうに見える部分は意外と間違えておらず、意外な部分が誤訳になっていることが多い。そして、実はそのほとんどは、辞書を引けば、きちんと書いてあったりする。
英語をきちんと読むことの難しさを、改めて教えてくれる本である。

そんなわけで、英語が難しくてよくわからないという人も、安心して勉学に励んで頂きたい。英語のプロだってこの有様なのを思えば、一般的な日本人にとっては、なおのこと英語は難しいものに違いない。

そして、僕のこのブログにもいろいろ誤りがあると思うので、見つけた方は直接お知らせいただきたい。SNSで晒し上げるんじゃなくて、できれば(こ)そっと。

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